九州大学大学院農学研究院植物資源科学部門植物生産科学講座土壌学研究室
Laboratory of Soil Science, Division of Soil Science and Plant Production, Departmerit of Plant Resources, Faculty of Agriculture, Kyushu University
The Red River delta, Viet Nam, has a long h1story of agricultural production. Paddy-rice is a main crop in the Red River delta and is essential from food security of people, and the rice production is steadily 2ncreasing with year. After renovation(Doi Moi), diversification of land use and intensification of cropping have been progressed. However, deterioration and poor management of irrigation facilities often have constrained the development of・land use and the sustainable rice production. In addition, unfitness of the irrigation system with the land policy after renovation has been pointed out。 As a rural development after renovation, enterprises for production of such as alcohol, fish sauce, and silk goods in the commune level are increasing in the Red River delta.
ハノイ(Ha Noi(河内);ヴィエトナムの古い地名ではThang Long(昇龍))は紅河(Hong Ha;ヴィエトナム語ではSong Hong)に沿い,人口250万人,ヴィエトナム国の首都である.外国との長い抗争の歴史(対中・対仏・対日・対米)をもつこの街は,雨がよく似合う.ハノイは亜熱帯モンスーン気候に属し,雨期と乾期に分かれるが,一日の日照時間は雨期よりもむしろ乾期が短い.雨のハノイ,雨は生活の一部である.雨のなかを,人々が,歩いて,自転車に乗り,バイクに乗って働きに行く.会社に急ぐ人も,菅笠(ノン)をかぶり天秤棒を担いで野菜や果物を売り歩く女性も,ロータリーでフランスパンを売るオバサンも,バイクの人も,皆合羽.道端レストランでも合羽を着ての食事.雨期のスコールは,一転空が掻き曇り,雷鳴とともに激しく降り始め,数メートル先も見えないほど.さあ一と上がってまた青空がもどるが,外は一面の水浸し.思うに,ハノイで会う人のやさしさとたくましさは,雨との共生の賜物ではなかろうか. ハノイ市の中心に位置する文廟(Van Mieu)は,11世紀半ば創建のヴィエトナム最初の大学であり,孔子廟として今でもハノイ市民の篤い信仰を受ける.ハノイ市及び周辺の県のあちこちに見る仏教寺院では,柱や額の文字は全て漢字である.長い間申国の影響を受けてきたヴィエトナムは,19世紀半ばからはフランスの植民地/保護領として,西欧文明,キリスト教に接する.1945年玩(Nguyen)王朝が滅亡し,同年9月2日ホーチミン(Ho Chi Minh;論意明)は,独立を宣してヴィエトナム民主共和国を樹立,共産主義と民族主義に則した統治を始めた.フランス撤退後のパリ条約で,ヴィエトナムは南北に分裂した(1955年).ヴィエトナム戦争最中の1969年ホーチミン死去,1975年4月30日ヴィエトナム共和国(南ヴィエトナム)崩壊.統一後,ヴィエトナムは社会主義共和国と国名を変え,社会主義と計画経済を国是とした.このようにさまざまな主義,文化,宗教を受容しながらも,ヴィエトナムの基層は儒教であるように感じる.政府は,1986年12月ドイモイ(Doi Moi;renovation,刷新)政策を採択,社会主義でありながら経済を計画経済から市場経済に転換した.著者のひとり江頭がハノイを最初に訪問したのは,ドイモイの1年前1985年12月である.旧市街(Old Ha Noi)を還剣湖(Ho Hoan Kiem)からドンスアンマーケット(Cho Don Xuan)まで歩くことができた.12月ということもあり,空は曇り,通りは暗く汚く,街全体が沈んだ灰色のモノトーンの印象であった.2回目は,ドイモイから10年後の1996年9月,市内電車は消え,自転車が自動二輪に変わり,街は明るく色がつき,マルチカラーになっていた.2001年9月16日~23日,6回目のヴィエトナム訪問は,紅河デルタ及び周辺の土地利用,水利施設,農村企業を巡検した.この時期中秋の名月を間近に控え,中秋月餅(Banh Trung Thu)がハノイの街の至る所の店を飾っていた.ドイモイ後の紅河デルタの農業/農村開発について,巡検での見聞,案内をかってくれたハノイ農業大学Do Nguyen Hai, Nguyen Huu Thanh両氏による説明,並びに彼らを通して入手した資料を基に,写真を混じえて,断片的ながら記述する.