<博士論文>
感情を通しての自己実現 : ジョージ・エリオットのヒロイン達のアイデンティティ

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概要 本論文は、George Eliotの登場人物における自己実現と感情の関係について考察した論文である。Eliotは社会の共同体を有機体と考えており、個人はその有機体を構成する部分の一部と捉えていた。現在、多くの批評家が、この有機体論に基づいて、自我と社会が相互依存的な関係にあることを指摘しているが、この自我と社会の相互関係を感情の観点から論じている研究は今までのところない。多くの批評家の意見に共通し...ているのは、社会を自己実現の手段として捉えているのではなく、社会を個人が背負うべき足枷として捉えている点である。本論文では逆にEliotにおいて個人の自我が社会に依存するのは、自己実現が感情の解放にかかっており、そしてその感情が他者との関係(つまり社会)や思い出(つまり歴史)の中でこそ生まれるものだからだと考える。本論の目的は、Eliotの登場人物達が、社会との関連を通して自己実現していく様子を感情の観点から迫っていくことである。第一章ではAdam BedeのヒロインDinahにおける自我の確立を、彼女が肉体の現前の必要性を発見し、有機体である社会の一員に組み込まれる過程から考察していく。Dinahは説教師として各地を放浪する生活を送っており、有機体である社会から浮遊した存在として描かれている。しかし確固とした自我を確立させ、自己実現に至るには、個人は有機体の一部として機能することが必要不可欠である。DinahはHettyやAdamとの関係を通して肉体の現前の必要性を発見し、その同情心によって真に道徳的効果を発揮させるためには肉体的にもその人の側にいる必要があることに気づいていく。肉体の現前の必要性に気づいたDinahは最終的に、説教師としての道をあきらめ、Adamと結婚しHayslopeに定住する。この結末は、彼女が放浪の人生を放棄し、一つの場所に定住することで、つまり有機体である社会の一部に取り込まれることで、Dinahの精神的な影響力を小規模ではあるが半永久的に周囲にもたらすことを意味している。ここに、社会という有機体に基づいたDinahの確かな自我と社会との関係性を通して人間の力とも言える感情の力を発揮するDinahの真の自己実現の形を見ることができる。第二章では、The Mill on the FlossのヒロインMaggieを通して、有機体である社会とそれを構成する部分としての個人の間に軋轢がありながら、それを受け入れることが感情の力を通した自己実現につながることを論じていく。Maggieは自身の内部の欲望と外部の社会や伝統の間で葛藤するが、最終的に「許す」という概念に到達し、彼女は外界である社会や伝統をその欠点も含めて受け入れる。そして、社会に根差した確かな自我を確立させたMaggieは過去や外界を象徴する兄Tomの彼女への反感をその強い感情の力によって覆し、二人は最後和解する。兄との和解の中に冷たい外界を象徴する兄をも覆す感情の力の強さと社会と最終的に調和したMaggieの確かな自我とを見ることができる。第三章では、Eliotの作品における感情と外部の有機体との関係を考察する。Romolaでは、社会と個人を結ぶ絆を社会の他のメンバーに対する「義務」の中に見出し、個人が社会における役割を果たす、つまり義務を果たすことで、その人間関係の中に感情の力が発揮されていくことが描かれている。Romolaはフィレンツェの同胞や夫Titoに対する義務を果たしていくことで、「感情」の力を発揮していく。Romolaは最終的にその愛情や憐れみの力を持って、疫病村を再建し、また夫の愛人Tessaやその子供たちを救うことで、壊れかけた共同体を再建する。この疫病村の再建という行為の中にRomolaの感情の力による自己実現を見ることができる。第四章ではヒロインDorotheaに感情の土台といえる過去や義務がないことに注目し、彼女が父親的存在Casaubonとの結婚生活を通して感情の源泉たる過去や義務を相続し、確かな自我を築いていく過程を論じる。Eliotにおいて個人の自我は社会や過去との関連性の中に確立されるものである。社会と個人の関連は個人における社会の他のメンバーである他者に対する義務の中に見出される。そして自己実現の鍵となる感情はこの社会や過去との関係性の中で生み出されるものなのである。しかし、Dorotheaは感情の基盤ともいえる過去を持たない孤児である上に、有閑階級の婦人であるために社会の義務をも免除された存在である。Dorotheaの自我の不確かさは彼女の自我がsensuous selfとspiritual selfの分離という形で見ることができる。父親的存在のCasaubonとの結婚によって「義務」と「過去」を与えられたDorotheaは、恋のライバルであるRosamondを尚も救おうとする作品のクライマックスにおいて分裂した自我を統一させる。そして統一した強い自我を以て、Dorotheaは社会の一員としての義務でもある「他者のために貢献する」という理想を果たし、自己実現を達成し、有機体における確かな自我を築いたのだった。第五章では、ヒロインGwendolenが社会の負の側面を乗り越え、社会を構成する他のメンバーである他者との関係における利他的な感情の力に目覚め、確かな自我を形成していく過程を論じていく。Daniel Derondaで描かれている世界は貨幣価値が浸透した堕落した社会として描かれている。個が自我を確立するためには有機体である社会に基づかなくてはならないことはすでに述べたが、Daniel Derondaではこの社会の腐敗面が問題となる。GwendolenはGrandcourtとの結婚後、社会の腐敗を体現する存在の夫の抑圧に苦しむが、Derondaは彼女が苦しんでいるのは自分のエネルギーをエゴという殻の中だけで消費しているからだと指摘する。GwendolenはDerondaとの交流を通して、利他的な感情の力に目覚めていく。彼女の利他的な感情の力は最後夫への殺意を乗り越えGrandcourtの支配から解放されるところにも表れている。最後、Gwendolenは貨幣価値を越えた広い視点を持つようになり、その広い道徳的視点からOffendeneに自分の故郷を再発見している。貨幣価値の枠組みを乗り越えた広い道徳的視野から有機体(共同体)における自分の位置を確認したGwendolenは、有機体である社会に基づいた自我を見出すことができたのである。社会の腐敗を体現したGrandcourtの支配を乗り越え、故郷を再発見したGwendolenの姿に、社会の腐敗した側面を乗り越え、健全な有機体であるよりよき社会の一員としての確かな自我の確立を見ることができる。本論で考察してきたように、George Eliotの作品において個人は有機体である社会と結びつくことで人間の力である感情の力を発揮し、感情の力を発揮することで個人の自己実現を達成することができるのである。社会は個に課された足かせではなく、感情の力を発揮し自我を確立させるための媒介である。Eliotは社会が個人に課した義務という個人の限界を嘆く悲観主義的な作家ではなく、人間の力である「感情」の力の重要性を力強く主張した作家なのである。続きを見る
目次 Acknowledgements Introduction Chapter I: The Discovery of Body in Adam Bede : Religion and Feelings Chapter II: Maggie's Struggle against ‘Artificial Vesture of Life’ : Feelings and Society in The Mill on the Floss Chapter III: Nature Symbolized by Women's Feelings: A Man of Rationalism and A Woman of Feelings in Romola Chapter IV: The Unification of Sensuous Feelings and Spiritual Feelings in Dorothea : The Rebellion against and The Independence of the Father in Middlemarch Chapter V: The Theme of Doubleness in Daniel Deronda: the Death of Grandcourt and the Regeneration of Gwendolen Conclusion Bibliography

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登録日 2013.06.27
更新日 2020.10.09

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