概要 |
大本2巻2冊。宝暦7年(1757)、(江戸)植村藤三郎ほか1肆刊。宝暦7年、筑波山頭月輪院行願序。同年、沙門金龍道人敬雄跋。「最勝閣/背東子/英進蔵」(朱陽方印)あり。他にも印があったと思われるが、切り取られた痕のみが残る。 本書は金龍が門人たちに話した雑話を、叡山の亮賢、日光の智洞の二人が書きとめたもの。内容は、仏説経論から詩文・趣味的話に至るまで多岐に渡り、変化に富んだ項目58条からなっている。...但し、跋文中には「七十余条」とあり、出版するに当って幾らか削ったのだろう。引用書目は、延べにすれば百を悠に越え、中には類書の類もある。また、単なる引用だけではなく、平林淳信や深見頤斎など同時代の人物に触れた話も見え、多くの随筆の中でも面白い内容となっている。この作品には、理由は不明ながら、絶版処分を受けたという記事がある。金龍の歯に衣着せぬ物言いが、おそらく原因であったと思われる。学説に対する批判などは勿論、中でも「雪下有三等僧」など、当世の僧侶の堕落振りに言及した過激な発言には、腹を立てた者たちも数多くいたに違いない。 なお、『雅俗文叢:中野三敏先生古稀記念資料集』(汲古書院 2005年)に翻刻と解題がある。(人文科学府 施超智)続きを見る
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