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福岡都市圏近代文学文化年表 ; 昭和28年
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登録日 | 2013.08.21 |
更新日 | 2021.12.14 |
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花田, 俊典
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スカラベの会
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文学作品:1月 大西巨人「雉子も泣かずば打たれまい」(「新日本文学」)4月 眞鍋呉夫「赤い空」(「新潮」)大西巨人「たたかいの犠牲」(「新日本文学」)海音寺潮五郎「蒙古来る」(「讀賣新聞」25日―29年8月10日)藤口透吾『父恋し母恋し』(鶴書房)5月 牛島春子「日患同盟のメーデー参加」・小島直記「マルタン・デユ・ガールのアンドレ・ジイドに関するノート」(「新日本文学」)6月 矢野朗「柩」(*矢山哲治がモデル)・「東潤作品集」・林逸馬「九重山」(「九州文学」)『壁画(第十九年刊歌集)』(九大医学部短歌会)7月 眞鍋呉夫「筑豊炭田」(「人民文学」)8月 眞鍋呉夫「日本陥没地帯行」(「群像」)原田種夫「南蛮絵師(第壱部)―切支丹一揆余聞」・山田牙城「十年」(「九州文学」*10月号まで連載)大原恒一「一九四八年八月のこと」(「文学芸術」5)眞鍋呉夫『内灘』(朝日書房)9月 大塚幸男「白桃」(「九州文学」)10月 林逸馬「危険な娘(第一部)」(「九州文学」*29年5月第10冊まで連載)野田寿子『台風圏』(昭森社)火野葦平「活火山」(「西日本新聞」31日―29年5月20日)11月 那珂太郎「幕間の唄」(「新日本文学」)武田幸一「ゆうれいはこわくない」・吉木幸子「愛と海」(「九州文学」5)森崎和江「草径」(「商人」2)
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文学的事跡:1月 松本清張(小倉市)が「或る「小倉日記」伝」で第28回(昭和27年下半期)芥川賞に決定(22日)。2月 眞鍋呉夫が安部公房の勧めで日本共産党に入党(*36年離党)。3月 岡松和夫が東大仏文科を卒業し、翌月国文科に学士入学。眞鍋呉夫が日炭高松坑(福岡県遠賀郡)を取材、上野英信の世話で採炭現場に入坑。4月 「午前」・「黄金部落」・「九州文学」が合体して文芸誌「九州作家」創刊【★722】(●日)。西南学院大学俳句会が中沢紅黍(同大教授)を顧問として発足(*32年1月句誌「室見川」創刊、33年俳句部と改称)。5月 添田博彬・右田俊介らが九大短歌会を母体に歌誌「リゲル」創刊【★723】。「自鳴鐘」5周年俳句大会、小倉高校会議室と太宰府天満宮文書館で開催(3日・5日)、平畑静塔・横山白虹は杉田久女終焉の筑紫保養院を訪問。杉本章子、福岡県八女郡福島町(現・八女市酒井田)で出生(28日)。6月 旧「第二期九州文学」同人が中心となり第四期「九州文学」創刊【★724】(25日*「寂寥派」改題)。7月 新日本文学会臨時中央委員会開催し、花田清輝は編集部責任者再選、編集委員に大西巨人・秋山清・佐多稲子らを選出(4日―5日)。庄野潤三(九大卒)が「恋文」「喪服」で第29回(昭和28年上半期)芥川賞候補(20日*受賞は安岡章太郎「悪い仲間」「陰気な愉しみ」)。梅崎春生が「拐帯者」で第29回(昭和28年上半期)直木賞候補(24日*該当作なし)。11月 歌誌「群炎」創刊。12月 八波則吉没(7日)。この年、俣野衛【★725】(久留米市出身)が西日本新聞社(福岡市)に入社(*昭和44年退社)。
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社会文化事項:1月 福岡市営の能古渡船「栄久丸」「能古丸」就航(26日)。大名町のアメリカ空軍将校クラブ(旧・中野邸)全焼(27日)。2月 済州島沖で操業中の第一大邦丸(福岡市大邦漁業所属)、李承晩ラインにより韓国警備艇に拿捕、漁労長を射殺(4日)。協同組合西日本専門店会結成(4日)。福岡青年会議所創立(4日)。3月 福岡県民間労組統一協議会結成大会、福岡市労働会館で開催(1日*9単産4万人)。博多―京都間に国鉄特急「かもめ号」運行開始(15日)。福岡商科大学長花田大五郎(比露思)が退任(31日)。4月 福岡市の「市政だより」が月3回発行・全世帯配布に(5日)。『博多名士随筆集』第1巻(うわさ社)刊行(10日)。春吉橋が竣工し渡り初め式(25日)。東中洲で大火、有楽映画劇場など4棟全半焼(26日)。(株)渕上呉服店を(株)渕上と改組改称し百貨店経営に転換。5月 雁ノ巣駐屯の米軍第315空輸部隊のミンストレル・モダーン楽団が電気ホールで演奏会、収益金を日赤福岡県支部に寄付(28日)。福岡東邦生命ビル第1期工事(4階まで)竣工。6月 九州炭労結成大会、二日市町で開催(1日―3日)。福岡地方に300ミリ超の豪雨(4日―6日)。「福岡女学院新聞」創刊(10日)。博多大丸呉服店が呉服町の福岡東邦生命ビルに入居し開店(15日*翌日営業開始)。500ミリを超す61年ぶりの記録的豪雨により九州全域大水害、死者行方不明者は1193人、県下の被害総額793億円(25日―29日)。7月 福岡銀行労組非営業部門が無期限スト突入(8日*14日従組本店支部も合流、7月21日妥結)。8月 朝銀福岡信用組合設立(3日)。南公園が開園し、園内に福岡市動物園開設(22日)。9月 福岡市営競艇場、須崎裏海岸に開場(25日)。博多駅拡張促進期成会結成(*会長は小西春雄福岡市長)。10月 福岡放送管弦楽団のメンバーを中心に九州交響楽団創立、福岡市渡辺通1丁目の電気ホールで第1回定期演奏会開催、初代常任指揮者は石丸寛(31日)。12月 福岡市町村合併調査研究会発足(7日)。上野文雄『九州終戦秘録』(金文社)刊行(20日)。この年、脇本善一が博多春秋社を創業。
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日本・世界事項:1月 米大統領にアイゼンハワー就任(20日)。航海訓練所練習船「日本丸」、南洋諸島の遺骨収集に出発(31日*3月19日帰国)。2月 斎藤茂吉没(25日)。福岡県芦屋基地反対農民1000人デモ(26日)。吉田首相、衆院予算委でバカヤロー発言(28日*3月14日不信任案可決で衆院解散)。3月 スターリン没(5日*翌日新首相にマレンコフ)。峠三吉没(10日)。中国からの引揚者約4000人をのせた興安丸・高砂丸が舞鶴に入港(23日)。北九州外国語大学が商学部を増設し北九州大学と改称認可(23日)。4月 日本ポリドール㈱設立(23日)。阿蘇山爆発(27日*死者6・負傷者100余)。5月 詩誌「櫂」創刊。6月 大分県高崎山のサルに文化財保護法適用(1日*11月13日天然記念物指定)。石川県内灘村の米軍射爆場反対で実力阻止座り込み(13日*15日試射開始)。7月 朝鮮戦争休戦協定調印(27日)。9月 町村合併促進法公布(11日●1?*10月1日施行・3箇年間の時限立法)。日本出版クラブ創立。12月 在ソ戦犯第1次帰還船、舞鶴港に入港(1日)。松川事件控訴審判決で4人に死刑(22日)。奄美群島の施政権返還(25日)。この年、書籍ベストセラーズはボォーヴォワール『第二の性』(新潮社)。映画は「ひめゆりの塔」「終着駅」「シェーン」「君の名は」。流行歌は「雪の降るまちを」「街のサンドイッチマン」。流行語は「むちゃくちゃでござりますがな」「さいざんす」「家庭の事情」「バカじゃなかろうか」。
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注記 |
【★722】文芸誌「九州作家」:「昭和二十八年の創刊で、三年経ているが離合集散の激しい同人雑誌にあつては、まず永く続いた方であり、実際に本県の同人雑誌で三年の歴史を持つ雑誌は「九州文学」を除くと幾らもない。いわば本県同人雑誌界の老舗であり、いままでにかなりの実績も残して来ている。全国的にも屈指の同人誌として許されていた。しかし、大世帯になればなるほど人間の集団は面倒になるのが常で、「九州作家」もその例外ではなかつた。既に創刊の年、二十八年秋には中村光至、一丸章らが脱退して「地標」に奔つたし、今年は東京の小島直記の呼びかけに応じて柿添元、百田耕三らが「幹」に拠つたし、さらに福岡在住の北川晃二、石川信らは袂を別つて「午前」を復刊した。したがつて名前こそ依然として「九州作家」ではあるけれども、創刊当時のそれと現在とでは全く質を異にしている。発行所も三十年の初頭早々従来の福岡から小倉へ移つた。分裂後の主な同人は、石山滋夫、星加輝光、織田隆一、小田雅彦らで、作品としては小田雅彦の「炎の河」、石山滋夫の「現代の盤若」、織田隆一の「青志の淵瀬」、生石久子の「旧い朝」、段禎子の「遠い人」あたりが注目されたようだ。/「午前」「芸術季刊」その他、先に述べた「九州作家」の第一次分裂の結果、中村光至、一丸章らは、東京の同人雑誌「現在」の福岡在住同人で、「現在」の編集方針に不満を持つていた蓮井敏彦らに合流、新らたに「地標」を創刊した。「芸術季刊」はこの「地標」の後身で、三十年九月、創刊号を出した。創刊に当つて、「九州作家」からはさらに川田禮子、田野辺薫らが参加した。/前年、文芸雑誌「新潮」の全国同人雑誌コンクールに「乾燥地」が入選した中村光至は、その創刊号に「相聞歌」を発表、世評を得た。/「幹」は第三次「九州文学」の編集人小島直記が、東京から九州の同人に呼びかけて六月(*「七月」が正しい)創刊したもので、小島の作品「夜の貌」は好評であつた。この作品の舞台は久留米で実際に起つた事件をモデルにとり上げたものである。/「芸術季刊」の創刊と相前後して、北川晃二らの「午前」復刊し、青海静雄の「信濃川」、山口竜之輔の「狩の話」、石川信の「ヘルツ・ノイローゼ」の小説三篇が創刊号に発表されたが、それぞれ注目された。/以上のように、大世帯の「九州作家」は大きく四つに分裂し、合同前の「黄金部落」が「九州作家」へ、「第三次九州文学」が「幹」へ、「午前」が再び「午前」へ、と散つて行つた。」(福岡県知事室企画局編『福岡県年鑑 昭和31年版』福岡県年鑑刊行会、昭31・3)●(石山滋夫「〈九州作家〉について」、「九州文学」昭34・8)
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【★723】歌誌「リゲル」創刊:「全九州アララギ「にぎたま」(後の「九州アララギ」)の福岡近県版という程度の考えで、右田俊介、松山晋、秋本葭二などと創刊を謀ったものです。/創刊の承諾を得るために、秋本君と、小澤見の(現、北九州市戸畑区)日鉄社宅に、山本伊敏氏を訪ね、最初から三号雑誌で終ってもよいという幼稚な考えを戒められ、と思いとどまるよう諭されました。/辞して帰る途中、二人とも興奮していました。寒さを感じぬ春浅い夜で、オリオン星座のリゲルが輝いていたかどうか、既に記憶にありません。」(添田博彬「跋」、『リゲル歌集』リゲル短歌会、平1・9)
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【★724】第四期「九州文学」創刊:昭和28年6月25日発行。「編集発行」は原田種夫、発行所は「「九州文学」発行所」(福岡市春吉花園1616の8=原田種夫の自宅)。「後記」に、「ここに第四期『九州文学』を刊行することに致しました。これは久しく休刊していた「寂寥派」の改題続刊でありまして、第二期及び第三期の『九州文学』となんの関係もない、別の同人組織であり、新たな構想の下に始めたものです。これが、九州に於ける文学の烽火を絶やしてはならぬといふ念願に発したものである事は言を俟ちません。/今回の発刊について各文化機関の熱誠な御支持は同人の深く感銘する所で、御期待に背かない仕事をお目にかける決心です。皆さんの御声援を切にお願ひ申し上げます。(H)」とあり、また第3冊(昭28・9)掲載の原田種夫の小文「余白」にも、「第二期及び第三期の『九州文学』と、この第四期『九州文学』は、ぜんぜん関係がなく、雑誌の性格も同人の組織も違うので。定型的な同人雑誌の編集や、組織を破つて、異質の文学綜合雑誌を考へてやつてゐるのである。ただ、第二期『九州文学』の編集委員であつた者、七人が世話人になつてゐるところがいかにも、第二期『九州文学』の復刊を錯覚させる。第二期の復刊であれば第二期に同人だつた人は、無条件に入つていただくことになるわけだ。同人費さへ払へば同人たり得た、株式会社式の、かつての第二期『九州文学』的のものは厳に排除してゐる。だいたい、めんど臭い規約などは、わたし達の性に合はない、ごめんである。」とある。
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【★725】俣野衛:久留米市城島町の生まれ。詩人・画家。13年9月、応召して久留米大12師団に入隊。昭和28年、西日本新聞社に入社し、29年2月28日、筑紫郡那珂川町諸岡に新築転居。
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関連情報 |
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410619
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権利情報 |
福岡都市圏近代文学文化史年表の著作権は、それぞれの執筆者に属します
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西暦 |
1953
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和暦 |
昭和28年
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登録日 | 2013.08.21 |
更新日 | 2021.12.14 |