<その他>
福岡都市圏近代文学文化年表 ; 明治3年
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登録日 | 2013.08.21 |
更新日 | 2021.12.14 |
編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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年表 |
社会文化事項:4月 榊保三郎、京都で出生(24日)。7月 福岡藩士ら太政官札贋造事件で逮捕さる【★6】(19日)。西郷隆盛が贋札事件調停のため薩摩から海路来福(24日)。秋、金子堅太郎【★7】が藩費で東京昌平校に遊学。この年、藩士杉山三郎平が家族(妻・重喜と茂丸)を伴い因幡町の屋敷を去って芦屋村に帰農(*9年箱崎村、10年夜須村、20年頃博多住吉に転居)。
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日本・世界事項:2月 樺太開拓使設置(13日)。柳河春三没(20日)。3月 筑前出身の和泉要助【★8】、人力車の営業公許(22日)。9月 平民に姓を許す(19日)。12月 日本初の日刊紙「横浜毎日新聞」創刊(8日)。
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【★6】太政官札贋造事件:「福岡藩財政は幕末からの悪化に加えて、戊辰戦争の出兵費がかさみ、内戦終結時の債務は一二九万七、〇七〇両の巨額に達していた。窮状打開のため、一会計方が考えついたのが贋金作りである。大参事ら藩首脳も巻き込んで、秘密裏に太政官札の贋造は開始された。つくられたのは太政官札ばかりでなく、二分金、一朱金、二分銀などにも及んだようである。贋造された貨、紙幣は藩船環瀛丸(かんえいまる)に積み込まれて、北海の物資買付けなどに使用された。一八六九年(明治二)八月、新政府は大藩に対し、北海道の開拓を下命したが、福岡藩にも後志国久遠(しりべしくどお)、奥尻の両郡を割り当てていた。贋札の使用は、これら藩の分領地が中心舞台となった。(略)台所の苦しさはいずこも変わりはない。戊辰戦争中には、成立間もない政府や大藩の間でも贋貨の製造使用があった。一八六九年(明治二)七月には、外国公使団の抗議を受けて、政府は正貨と一対一交換の煮え湯をのまされている。福岡藩の贋札使用事件が発覚した年には、東北、北越、大分などの各地でも、藩札の乱発や贋金による物価騰貴などが盛んで、これを一因に年貢減免の農民運動が頻発した。一八七〇年(明治三)七月十八日、突如として弾正台(いまの検察庁)の福岡藩の一斉検挙が始まり、大参事ら藩首脳を続々と拘引して厳重な取り調べが行われた。北海道でも開拓使が浦上玄之允(げんのすけ)、半田利惣(としふさ)らを逮捕し、贋造貨紙幣、集荷物資などを押収した。事件糾明は続き、その間、矢野梅庵(旧藩老)、早川勇(旧藩士、奈良県大参事)らも奔走、黒田長溥(ながひろ)も動くなど西郷隆盛、三条実美(さねとみ)らを通じて減刑運動も行われたが、成果はあがらなかった。一八七一年(明治四)七月二日、弾正台は藩知事黒田長知(ながとも)を罷免閉門、大参事以下五人を斬罪などの厳刑処分に付した。新藩知事には、かつての征東大総督有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王を任じ、藩内の動揺を防ぐための非常措置をとった。こうして、福岡藩は全国的な廃藩置県を待たず、歴史の幕を閉じる。」(『福岡県の歴史』福岡県、昭56・10)
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【★7】金子堅太郎:嘉永6(1853)年3月13日、筑前国福岡鳥飼村の生まれ。福岡藩士の子。少年時代は正木昌陽の私塾「不狭舎」(鳥飼村御供道)で学び、明治4年、旧福岡藩主黒田長知に随行して米国に留学。ハーバード大学で法律・憲法・国際法を学び、11年卒業帰国。東京大学予備門の英語教師となり、13年元老院書記官。17年井上毅らと明治憲法起草に着手。伊藤博文総理秘書官、貴族院議員、農商務次官等を歴任。第3・4次伊藤内閣の農商務相・司法相をつとめた。昭和9年伯爵。昭和17年5月16日、神奈川県葉山で没。墓所は福岡市唐人町の成道寺にある。
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【★8】和泉要助:人力車(人車)の発明者か。「元来和泉氏は、筑前国鞍手郡中泉村長谷川作右衛門の長子にして、文政十二年十一月二十五日に生まれたり。寛永三年福岡藩士和泉要の養子となり、要助と称し、後和泉姓に改めき。翌年藩主に随ひて江戸に至りしが、明治元年に至り、西河岸割烹店松林亭半右衛門の名義をもつて、三条公等の賄御用を勤めたり。これより先、外交開けて馬車の輸入あり、その制の軽快なるを見、馬力に代ふるに人力をもつて挽かばさらに便利なるべきを思ひ、明治二年始めて人力車を発明したり。」(石井研堂『明治事物起源』*引用はちくま文庫版)
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関連情報 |
レコードID |
410536
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権利情報 |
福岡都市圏近代文学文化史年表の著作権は、それぞれの執筆者に属します
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西暦 |
1870
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和暦 |
明治3年
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登録日 | 2013.08.21 |
更新日 | 2021.12.14 |