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<その他>
川崎洋
ヨミ
カワサキ ヒロシ
編者
花田, 俊典
スカラベの会
データベース名
スカラベ人名事典
人物詳細
1930(昭和5)年1月26日、東京府荏原郡大井町(現・東京都品川区)生まれ。詩人。昭和18年3月、馬込第二国民学校を卒業し、4月、正則中学に入学したが、翌年4月、疎開のため父親の郷里に近い福岡県八女郡岡山村蒲原(現・八女市蒲原)に引っ越し、八女中学(現・八女高校)2年に編入学した。川崎洋の自伝『わたしは軍国少年だった』(新潮社、平4・4)によると、父親は福岡県久留米市内の代々の商家の次男。久留米商業を卒業して上京し、貿易会社に就職。上海で勤務したが排日運動の激化により帰国。朝日新聞東京本社営業部に転職し、まもなく辞職。福岡県久留米市の「K書店」(菊竹金文堂)がジャワ島に支店を出す計画を立て、支店長として赴任するよう誘われたので承諾し、いったん久留米市内の「K書店」に勤めながら戦局の好転をまってジャワ島行きにそなえることになったのである。敗戦のラジオ放送は動員先の「国鉄羽犬塚駅のすぐそばにある製粉工場」の前庭に整列して聞いた。昭和21年、久留米市に転居し、父親の紹介で丸山豊に会って詩作の指導を受ける。昭和23年、八女中学を卒業し、福岡市内の西南学院専門学校英文科(現・西南学院大学)に入学。福岡市内に下宿(その後、同市内の水尾比呂志宅に寄寓)し、男声合唱団「グリークラブ」に入部した。同24年、父親が亡くなり、経済的事情のため退学し、アルバイトに励んだ。26年3月、上京し、横須賀の米軍基地内で働いた。28年5月、茨木のり子・谷川俊太郎らと詩誌「櫂」を創刊(30年1月まで全11冊刊行、40年12月復刊)。同30年9月、伊達得夫の書肆ユリイカから第1詩集『はくちよう』を上梓した。以後、『木の考え方』(国文社、昭39・12)『祝婚歌』(山梨シルクセンター出版部、昭46・12)などの詩集のほか、『方言の息づかい』(草思社、昭53・9)、『悪態採録控』(思潮社、昭59・ 11)、編著『日本方言詩集』(思潮社、平10・7)など多くの著書がある。詩集『ビスケットの空カン』(花神社、昭61・5)で第十六回高見順賞。
関連情報
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/collections/q_fukukin_bio
詳細
レコードID
441738
権利情報
スカラベ人名事典の人物詳細の著作権は、それぞれの執筆者に属します
登録日
2013.08.16
更新日
2020.10.26
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