日本語
English
ログイン
お問合わせ
サイトポリシー
寄附
HOME
探す・調べる
九大コレクション
世界の文献
データベース
所蔵コレクション
九大出版物
電子展示
Cute.Guides
図書館を使う
利用ガイド
学生・教員の方
一般の方
各図書館
中央図書館
理系図書館
医学図書館
芸術工学図書館
筑紫図書館
記録資料館
別府病院図書室
九大コレクション
図書・雑誌
リポジトリ(QIR)
学位論文
貴重資料
麻生家文書
蔵書印画像
炭鉱画像
水素材料DB
所蔵コレクション
この情報を出力する
印刷
メール送信
Mendeley出力
このページのリンク
引用にはこちらのURLをご利用ください
コピー
他の検索サイト
世界の文献
CiNii Research (Articles)
CiNii Books
CiNii Dissertations
国立国会図書館サーチ
Google
Google Scholar
Google Books
カーリル
利用統計
このページへのアクセス:68回
CLOSE
»
<その他>
川上宗薫
ヨミ
カワカミ ソウクン
編者
花田, 俊典
スカラベの会
データベース名
スカラベ人名事典
人物詳細
1924(大正13)年4月23日、愛媛県卯之町の生まれ。小説家。父親がプロテスタント教会メソジスト派の牧師であったため、4歳頃に大分県竹田町(現・竹田市)に移り、同県三重町、さらに長崎市へと引っ越した。飽之浦小学校をへてミッション系の鎮西学院中学を卒業。長崎高商と七高とを受験したというが合格せず、福岡市の私立西南学院高等部に入学した。西南学院時代に応召したが、長崎県大村の陸軍病院に赤痢の疑い(胸部疾患とも)で入院中に、長崎に原爆が落下。爆心地から2、300メートルの距離にある松山町に自宅があったため、母親と2人の妹が即死した。牧師の父親は生き延びたが、これ以後、父親は信仰を失ったという(『待ちぼうけの自画像』文化出版局、昭56・7)。敗戦の翌年に西南学院を卒業し、九州帝大英文科に入学したが、経済事情、住宅事情、食糧事情のため、長崎に住んだまま、長崎の女子商業で英語教師を勤めながら、九大には定期試験以外は登校せず、試験の際は福岡の友人の家や下宿に泊めてもらったという。当時の学制によると大学は(医学部を除き)3箇年だったが、1年留年したため、4年後の昭和25年に卒業。丸山明宏の母校でもある長崎海星高校で3箇月間ほど英語教師をつとめたあと、上京し、高校教師生活を続けながら短篇「その掟」(「新表現」昭29・6)で芥川賞候補。ついで第1創作集『或る目ざめ』(河出書房、昭31・9)を上梓した。昭和35年、教師を辞職し、創作活動に専念した。芥川賞候補になること計5回。昭和60年10月 13日没。〈著書〉『或るめざめ』(河出新書、昭31・9)『魔性』(現代社、昭33・ 11)『憂鬱な獣』(光風社、昭35・5)『贋教師』(青樹社、昭43・10)『赤い夜』(文芸春秋、昭45・11、のち文春文庫、昭59・3)『或る体質』(中央公論社、昭47・11)『流行作家』(文芸春秋、昭48・6)『暮れてゆく』(講談社、昭51・4)などのほか、エッセイ集に『秘戯の白書』(光風社書店、昭50・3)『宗薫歳時記』(スリーセブン、昭51・4)『告白的女性遍歴』(サンケイ出版、昭53・10)『夜の残り』(集英社、昭 53・10)『わが好色一代』(新潮社、昭58・2)『待ちぼうけの自画像』(文化出版局、昭56・7)『遺作 死にたくない』(サンケイ出版、昭61・ 4) ⇒自伝抄
関連情報
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/collections/q_fukukin_bio
詳細
レコードID
441734
権利情報
スカラベ人名事典の人物詳細の著作権は、それぞれの執筆者に属します
登録日
2013.08.16
更新日
2020.10.26
この資料を見た人はこんな資料も見ています
1
川崎洋