<その他>
宇野千代
ヨミ | |
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関連情報 |
詳細
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権利情報 | |
登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |
ヨミ |
ウノ チヨ
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編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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データベース名 | |
人物詳細 |
1897(明治30)年11月28日、山口県玖珂郡横山村(現・岩国市川西町)の生まれ。小説家。宇野俊次・トモの長女。明治43年、岩国高等女学校に入学。44年、父の命により従兄弟の藤村亮一のもとに嫁入りするが、10日で戻る。大正2年、文学に興味を持ち始め、変名で「女子文壇」に投稿。文学サークルを始める。3年、女学校を卒業、川下村小学校の代用教員となる。4年、同人誌「海鳥」を発行するが、3号で廃刊。同僚との恋愛を理由に教職を追われ、韓国ソウル、当時の京城に渡る。5年、京城から帰国。従兄弟の藤村忠(亮一の弟)を頼って京都へ。同棲生活を始める。6年、東京帝国大学に入学した忠とともに上京。数日間勤めたレストラン・燕楽軒で多くの作家の知遇を得る。8年、忠と結婚。翌年、忠が北海道拓殖銀行に就職したのを機に札幌へ移住。10年、「時事新報」の懸賞小説に応募「脂粉の顔」1等当選、賞金200円を得る。11年、上京し尾崎士郎と出会う。尾崎が止宿していた菊富士ホテルに移住。13年、忠との協議離婚成立、尾崎士郎と結婚。「中央公論」に「或る女の生活」を発表するなど、作家としての地位を固める。昭和5年、東郷青児と取材を通して会い、同棲を始める。9年、東郷が情死未遂事件を起した女性とよりを戻し完全別居。同年、東郷はその女性と結婚。 11年、スタイル社を設立し、雑誌「スタイル」を発行。日本初のファッション雑誌として人気を博す。12年、「スタイル」の編集に参画し誌面を一新した北原武夫と急接近。13年、スタイル社から三好達治編集による文藝誌「文體」を創刊。14年4月1日、北原と結婚。19年、スタイル社を解散し、熱海へ疎開。21年、北原を社長、千代を副社長としてスタイル社を再興。「スタイル」を復刊、記録的な売上を見せた。24年、「宇野千代きもの研究所」を設立。 25年、中央区木挽町に家を新築。スタイル社の1階に「スタイルの店」を開店。32年、『おはん』が、第5回野間文芸賞受賞。33年、第9回女流文学賞受賞。34年、スタイル社倒産。39年、「天風会」に入会。北原武夫と離婚。42年、きものの仕事をまとめ「株式会社宇野千代」を設立。47年、第28回芸術院賞受賞。49年、郷里岩国の生家の復元が完成。勲三等瑞宝章をうける。57年、第30回菊池寛賞受賞。58年、『生きてゆく私』がベストセラーになる。平成2年、岩国市名誉市民となる。文化功労者として顕彰される。4年、日本橋京屋で「宇野千代展」開催。平成8年6月10日逝去、享年98歳。10 年、三越美術館(東京・新宿)にて「生誕百年 宇野千代の世界展」を開催。以後、全国主要都市にて開催。〈著書〉『脂粉の顔』(改造社、大12 短篇集)『幸福』(金星堂、大13 作品集)『新選宇野千代集』(改造社、昭4 名作短篇集)『罌粟はなぜ紅い』(中央公論社、昭5)『大人の絵本』(白水社、昭6 豪華限定本)『色ざんげ』(中央公論社、昭10)『別れも愉し』(第一書房、昭11)『人形師天狗屋久吉』(文體社、昭18)『日露の戦聞書』(文體社、昭18)『おはん』(中央公論社、昭32)『女の日記』(講談社、昭35)『刺す』(新潮社、昭41)『或る一人の女の話』(文藝春秋、昭47)『幸福』(文藝春秋、昭47)『私の文学的回想記』(中央公論、昭47)『薄墨の桜』(新潮社、昭50)『八重山の雪』(文藝春秋、昭50)『宇野千代全集』(中央公論社、昭52)『青山二郎の話』(中央公論社、昭55)『生きてゆく私』(毎日新聞社、昭58)『幸福の言葉』(海竜社、平 13・3) 【恒成美代子】 私には年齢という意識がなかった。若いとか、年をとっているとかいう意識がなかった。鏡の中に見る現在が現在であった。その現在に見合う行動、というものさえ、私にはなかった。私のいまいるところが、現在であった。(『幸福の言葉』「命の力」より)
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関連情報 |
レコードID |
441606
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権利情報 |
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登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |