<その他>
阿波根昌鴻
ヨミ | |
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編者 | |
データベース名 | |
人物詳細 | |
関連情報 |
詳細
レコードID | |
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権利情報 | |
登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |
ヨミ |
アハゴンショウコウ
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編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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データベース名 | |
人物詳細 |
1903(明治36)年3月3日、沖縄県本部(もとぶ)の生まれ。平和運動家。貧しい農家に育った。幼い頃より向学心が厚かった。沖縄県立嘉手納農林学校に合格するも、入学の際、馬車賃がなく、父と二人、机や寝具を担いで40キロの山道を歩いたという。ところが、そのためか神経痛を患い、わずか三ヶ月で休学。別府の教会の世話になりながら、治療と療養の生活が続く。17歳で、キリスト教に入信する。1922年、喜代と結婚して伊江島に移住、長男も生まれる。翌年、先生になるための学費を稼ぐため、キューバへ移民、さらに五年後にはペルーへ。この十年間に社会科学の学習会に参加。資本主義社会の構造と矛盾に行き当たったという。帰国後、西田天香を京都「一燈園」に尋ねる。「私欲のためでなく、社会のために働けば成功する」と教えられ、内村鑑三等が開設した沼津・興農学園に入学。デンマークの国民高等学校運動を知り、沖縄でその精神を引き継ぐことを決意する。1934年卒業。伊江島でデンマーク式農民学校の建設に取りかかる。1945年島中が激戦地になり、島民の三分の一が殺され、兵役年齢に達していないにもかかわらず現地徴集された長男昌健は戦死。農民学校も廃虚に。終戦から十年。農民学校を再建。ところが、米軍が島の爆撃演習予定地に上陸、農家を破壊。中止を嘆願する人々に暴行を加え、連行。住民は抗議のハンストを始めるが、米軍は爆撃演習地の建設を始めた。以来住民は非暴力の抵抗運動を開始、「乞食行進」を行って、土地闘争を沖縄全体の島ぐるみ闘争に発展させた。1966年ベトナム戦争のために伊江島に設置しようとしたミサイル基地建設を阻止。この闘いを機に、国を越えたベトナムの民衆との連帯を意識した平和運動を続けてゆくようになる。1966年63歳で、中央労働学院に入学。また、翌年、米軍基地ゲート前に「団結道場」建設に着手。1984年伊江島反戦平和資料館「ヌチドウタカラの家」開設 。「やすらぎの家」と「わびあいの里」完成。1994年、沖縄県功労賞受賞 。1998年「教えられなかった戦争・沖縄編 阿波根昌鴻・伊江島のたたかい」(企画・製作映画文化協会)完成。キネマ旬報1998年度文化映画部門第一位受賞。平成14(2002)年3月21日、永眠、享年101歳。 〈著書〉『米軍と農民―沖縄県伊江島』(岩波新書、昭48・8)『写真記録 人間の住んでいる島』(私刊、昭57)『命こそ宝―沖縄反戦の心』(岩波新書、平4・10) 【山田まゆみ&坂口博】
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関連情報 |
レコードID |
441471
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権利情報 |
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登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |