| ヨミ |
アキヤマ ロクロウベエ
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| 編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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| データベース名 | |
| 人物詳細 |
1900(明治33)年4月11日、香川県三豊郡三野村(現・三野町)の生まれ。ドイツ文学者・小説家・評論家。旧制三豊中学、一高理科乙類を経て、東京帝国大学(現・東京大学)文学部在学中に、同じくドイツ文学専攻の手塚富雄等と第八次、第九次「新思潮」に参加した。大正15年4月、二五歳で福高にドイツ語教師として赴任。生徒とは2、3歳しか違わない若い教員であった。昭和11年10月に、福高の同僚である浦瀬白雨・大塚幸男らと文芸同人誌「九州文壇」を創刊。昭和12年8月、「九州文壇」を廃刊し、「九州文学」(第1期)を創刊した。「九州文学」は13年9月に福岡を中心に活動する「九州芸術」「文学会議」「とらんしつと」などと合同し、「九州文学」(第2期)となった。教育活動以外に文学者としても活躍する秋山を慕って、その家には文学好きの生徒がよく集まったという。これらの学生のことを秋山は後年、「学生で文学を愛好するものと言えば当時は大抵相場がきまっていて、怠けものでだらしなく、従って学校当局からは甚だ受けがよくなかったのである。かてて加えて、当時の左翼系の学生の多くが文学研究にことよせてさまざまな秘密集会をやっていた」というが、「わたし自身怠けものでだらしなく文学が好きで、かつどちらかと言えば、左翼的な考えをいだいていたのだから、こうなるのは自然の成り行きではあった」(青陵会秋山六郎兵衛謝恩記念事業会編『不知火の記』白水社、昭43・1)と回想している。第8回文乙卒業の檀一雄もこうした学生の一人であったし、詩人の矢山哲治もまた、同様の生徒であった。福高閉校後は新制九州大学へ移籍した。32年4月末まで福岡市内に住まい、のちに中央大学・学習院大学の教授を歴任した。昭和46年8月23日没。〈著書〉長編小説『薄明』(考へ方研究社、昭3・3)評論集『概観ドイツ史』(白水社、昭13・ 11)短編集『魔園』(白水社、昭14・5)長篇小説『故園』(三笠書房、昭15・4)評論集『現代と文学精神』(三笠書房、昭16・9)同『独逸文学史』(三笠書房、昭18・2、現代叢書42)同『回想と自覚』(輝文堂書房、昭18・4)同『白刃の想念』(明光堂書房、昭18・12)同『文学と真実』(晃文社、昭23・10)、翻訳書にホフマン『牡猫ムルの人生観』上下(岩波文庫、昭10・11―11・4)、ヘルマン・ヘッセ『孤独な魂(ゲルトルート)』(三笠書房、昭17・3)、ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』(三笠書房、昭17・10)などがある。【長野秀樹】)
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| 関連情報 |
| レコードID |
441452
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| 権利情報 |
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| 登録日 | 2013.08.16 |
| 更新日 | 2020.10.26 |