<紀要論文>
茂吉における「力」 : 「多力者」についての考察

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概要 斎藤茂吉が柿本人麻呂を「多力者」という評語によって称揚した(注-)ことはよく知られている。みずからもまた、「多力者」を意志していたことは、「私はつひに歌道に於ける多力者(たりきしゃ)ではない」(注2)という言葉にあらわれている。「多力者」とは茂吉にどのようなものと考えられていたのか。本稿では、「多力者」の用例を検討することで、茂吉が考えていた「多力者」の内実を明らかにする。茂吉の著作のうち「多力」...、「多力者」の語が見える早い例は、大正二年三月「アララギ」に掲載された次の文章である。短歌の形式は不自由である。そこに自由な心を盛るのは虚偽に陥るといふ。 一応明白な理である。ところが実はその虚偽なところより力が湧いて来るのだ。虚偽の生ぜんとする刹那に其と闘ふ力から光明が放射するのである。力は障擬にぶつかって生ずるのである。短歌の形式をいとほしむ心は力に憬るる心である。短小なる短歌の形式に紅血を流通せしめんとする努力はまさに障磯に向ふ多力者の意力である。『多力に向ふ意志(ウイルレツールマハト)』である(「35歌の形式と歌壇」)。(注3)「多力に向ふ意志」については、それに振られた読み仮名「ウイルレツールマハト」からニーチェ思想の主要概念の一つである「Wille zur Macht」を訳したものであることが、すでに指摘されている(注4)。続く文章にニーチェのアフォリズムの引用があり、同じ号に掲載された他の文章にニーチェの名があがることからもその関連は認められる。しかしより積極的に「多力に向ふ意志」がニーチェと結びついていることは、茂吉自身の次の文章によって確認できる。ニイチエは晩年の書績に『私はこの金色の秋に、私の嘗て経験した最も美しい秋に、私の生涯の回顧を書いてみる。ただ私自身のために』とかう書いてある。ニイチエは甚く孤独を感じてみたけれども、已に多力に向ふ意志の哲学の腹案の成つた時だ(大正九年六月「秦皮」)。(注5)明らかに「多力に向ふ意志」が、ニーチェ哲学として把握されている。 茂吉が「多力」あるいは「多力者」を使うとき、少なくともその初期においては、ニーチェの「力」の思想が意識されていたと見てよいであろう。そしてその「力」は、「35歌の形式と歌壇」に代表されるように、歌人茂吉としては当然のこととして、多くが短歌をめぐる問題と密接に関連付けられている。あらためて「35歌の形式と歌壇」から「多力(者)」に拘わらず「力」の語を拾うと、この短文のうちに、「虚偽なところより力が湧いて来る」、「闘ふ力から光明が放射する」、「力は障磯にぶつかって生ずる」、「力に湿るる心」、「努力」、「意力」などと用いられ、「力」という単語への執着あるいは「力」そのものへの憧憬が看取される。「多力者」、「意力」の読みについては、後年の文章に、それぞれ「たりきしや」、「いりき」(注6)と読み仮名が振られている例がある。続きを見る
目次 はじめに
一、「多力」という訳語について
二、多力者とは何を為し得る「力」か
三、新気運を生み出す「力」として
結び

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登録日 2010.10.16
更新日 2019.09.10

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