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慶安三、四年の日本における出島商館医シャムベルゲルの活動及び初期カスパル流外科について

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概要 序文:   カスパル・シャムベルゲル(Caspar Schamberger, 1623-1706)は、いわゆる「カスパル流外科の父」として日本の医学史上最も重要な人物の一人である。カスパル流外科はキリスト教の世紀にイベリア半島の宣教師によってもたらされた「南蛮流外科」に続く「紅毛流外科」の最初の流派であり、その伝習は19世紀の開国にいたるまで確認できる。1649年から1651年まで日本に滞在し、オ...ランダ東インド会社に勤務していたカスパルは、自分が後世に与えた影響を決して知ることはなかった。出島商館の業務日誌やその他の文書は、彼のような外科医の活動について所々で触れてはいても、たいていは単に「chirurgijn」とだけ記されている。本来なら彼の名は世に知られることはなかっただろう。しかし1649年、特使アンドリース・フリーセ(Andries Friese
Frisius )とともに江戸へ行き、徳川家光の謁見を待っている時、思いがけないことが起こる。シャムベルゲルと使節団の仲間3人は、使節団が長崎へ戻ることになっても、しばらく江戸に留まるよう幕府側から要請された。こうして彼は合計約10ヶ月、通常は閉鎖的な国の政治的中心地に滞在し、病人の治療や日本人医師の指導にあたった。彼は多大な報酬を得て長崎へ戻り、出島商館長の次の江戸参府にも参加した。そして1651年秋には日本を離れている。 様々な動きと要素が重なり、シャムベルゲルは幕府の関係者の注目するところとなった。彼によって引き起こされた西洋医術に対する関心は、その後も衰えることはなく、継続的な日蘭医学交流へと発展し、薬学、本草学、植物学などの関連分野にも広がるようになった。常に現場に立ち会っていた出島商館の阿蘭陀通詞たちも、商談とは大きく異なるやりとりに強い影響を受け、オランダ語の学習のみならず西洋を見る目も次第に変わり、やがて通詞出身の学者が登場するようになった。杉田玄白は回想録『蘭学事始』で「紅毛カスハル」に言及しているが、江戸蘭学への偏り及び情報不足のためか、彼はカスパルの役割をあまり認識していなかった。 「又古来「カスパル」流といふ外科あり。これは寛永二十年、南部山田浦へ漂流ありし阿蘭陀船の人数の内、江戸へ召し呼ばれたる中に、「カスパル」某といふ外科あり。三四年留置れ、その療法を学せられし者もありしが、追々長崎へ御送りのよし。江戸並に長崎にても、正保の頃、此「カスパル」より伝来の療法ありしを、詳らかなる事を不知ども、後に「カスパル」流と唱ふる事と申事に哉。又別に「カスパル」姓の外科渡来のこともありしか。」 今日の豊富な史料を踏まえながら江戸期全体の流れを見つめると、シャムベルゲルは蘭学の種を蒔いた人物であるとの位置づけにいたる。 1980年代末頃、南部ドイツのクリストフ・アルノルトが1672年に発表した『三大王国、日本、シャム、朝鮮』という本の注釈の中で、それまで不明だったシャムベルゲルの出生地及び帰国後の様子を示す記述を発見した筆者は、日本医史学会の蒲原宏氏、酒井シヅ氏、故宗田一氏、故中西啓氏、故鹿子木敏範氏などが寄せて下さった強い関心に刺激され、東西両洋におけるシャムベルゲルの活動を追究する決心をした。その成果は一連の論文及びドイツで出版された本として発表することができたが、その後江戸時代全般にわたる調査により、紅毛流外科の原点であるシャムベルゲルの教えを資料的に、より詳細に裏付けることが可能になってきた。本冊子では、ヨーロッパでの各種出来事、カスパル以降の日本における動きや紅毛流外科の発展などを除外し、慶安3・4年におけるシャムベルゲルの活動とその関連史料に的をしぼることにする。 医薬学関連の17世紀の文書の多くは、後世により写された形でしか伝わっていない。書写者が文章の一部を省いたり、別の資料を追加したりすることは決して珍しくない。史料名も様々であり、『国書総目録』に集録されているものはごく一部に過ぎないので、数多くの写本を見ることが不可欠である。それにしても、一つの文書の本来の姿を再構築するのは困難を極め、大まかな姿しか描写しかできない場合もある。 シャムベルゲルの日本滞在中、猪股伝兵衛などの通詞が作成した報告は例外ではない。当時の姿を明白に示しているのは、現存史料のほんの一部である。その中でとりわけ「阿蘭陀外科医方秘伝」は重要であり、その他の写本群を整理する鍵にもなる。この史料の発見者宗田一氏のお陰で所有者の佐藤文比古氏からコピー及び利用の許可をいただき、宗田氏が1980年に発表した先駆的な論文「カスパルの江戸での伝習について — 阿蘭陀外科医方秘伝の紹介」をもとに、蘭文史料と和文史料と照らし合わせながらさらなる分析成果を発表したが、文章の紹介は常に断片的な引用に過ぎなかった。その後、佐藤氏も宗田氏もこの世を去り、「阿蘭陀外科医方秘伝」の原本も、宗田氏蔵の写しも行方不明となり、現存するのは筆者のコピーのみとなった。本冊子のページ数には多少の余裕を与えられたので、今後の研究に役立つようにとの願いを込め、「阿蘭陀外科医方秘伝」全文及びその他の貴重な史料を掲載することにした。
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目次 1.0 カスパル・シャムベルゲルの略歴 ・  2.0 日本におけるカスパル・シャムベルゲルの活動 ・  2.1 長崎での活動 ・  2.2 江戸での治療例 ・  2.3 特使フリーセが持参した薬箱 ・  2.4 1650年4月〜10月の活動 ・  2.5 1651年における活動 ・  2.6 医薬品の納入 ・  2.7 1652年春の医術関係の注文 ・  2.8 シャムベルゲルが江戸で用いた書物について ・  3.0 現存写本資料と初期カスパル流外科について ・  3.1 外科学に関するシャムベルゲルの知識 ・  3.2 「カスパル流外科」とシャムベルゲルの「弟子」 ・  3.3 カスパル流医書の諸問題 ・  3.4 カスパル流「外科学」 ・  3.5 輸入医薬品についての記述 ・  3.6 薬草及び薬油についての記述 ・  3.7 「南蛮流外科書」及び『阿蘭陀外科指南』の位置について ・  結び ・  【資料1】 年表:カスパル・シャムベルゲルの生涯 ・  【資料2】 C・シャムベルゲルの『履歴』(1706年刊) ・  【資料3】 C・ヘルス『外科学の試験』(1645年刊):目次 ・  【資料4】 W・バイレフェルトの出納簿(1650年) ・  【資料5】 1651・52年度の出島商館日誌に記載された注文 ・  【資料6】 「阿蘭陀外科医方秘伝」 ・  【資料7】 初期カスパル流文書に見れる西洋医学の専門用語 ・  参考資料 ・  索引

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登録日 2009.07.18
更新日 2021.04.21

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