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概要 |
本論文の第一の目的は、精神分析学、特にフロイト-ラカン(派)の社会理論を古典的な社会理論であるデュルケムの社会理論と接続させて理解することによって、フロイト-ラカン(派)を従来の社会理論の中に位置づけることである。本論文の第二の目的はこのようにフロイト-ラカン(派)をデュルケムの社会理論と接続させることによってラカン派やデュルケムを含めた既存の社会理論の限界点を明らかにすることである。その際、問題...になるのは社会学において「他者」概念がどのように論じられてきたかである。デュルケムやラカン派の社会理論を概観して明らかになったことは、これまでの社会理論では「他者」概念が主体にとって「内的な環境」にとどまり、「絶対的」な「他者」概念が欠如しているということであった。既存の社会理論では自己の内的な環境としての「相対的」な他者については十分に論じてきたが、自己にとって非対称的で、「私にとってこの同じものが相手にとって別のことを意味するような」絶対的な他者の視点については論じてこなかった。これからの社会理論においてはこうした絶対的な他者概念こそを理論化することが必要になるであろうとして結論とした。続きを見る
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