作成者 |
|
本文言語 |
|
出版者 |
|
|
発行日 |
|
収録物名 |
|
巻 |
|
開始ページ |
|
終了ページ |
|
出版タイプ |
|
アクセス権 |
|
JaLC DOI |
|
概要 |
本稿では、ハンス・ブリューアーの理論的著作を中心に、彼のホモ・セクシュアリティーの理論が、マグヌス・ヒルシュフェルト、ジークムント・フロイトにおけるそれとどのように違い、どのような独自性をもつものであるかが比較・検討される。 ブリューアーの著作中、今回とりあげられるのは『エロス的現象としてのドイツ・ヴァンダーフォーゲル運動』である。この本でブリューアーは「男性英雄」というタイプをうちたてるが、これ...は性愛対象の方向が逆転しているだけで、性愛の様態は異性愛と全く異ならない、ギリシア的できわめて健康な同性愛者、というタイプである。マグヌス・ヒルシュフェルトはブリューアーとは違い、同性愛者を男性と女性の要素が半ば混交した半陰陽者、性的中間段階にあるものとする。こ:こには同性愛が先天的な生物学的資質であることを強調することによって、同性愛禁止条項を当時の刑法から撤廃することをめざす、ヒルシュフェルトらの政治路線がみてとれる。ブリューアーはこの生物学的な性的中間段階の理論を認めてはいない。 フロイトの理論もブリューアーは否定するが、その原因はフロイトが同性愛を神経症者に必ずみられる倒錯の一種としたことにある。ブリューアーにとって同性愛はあくまでも全人格的で健康なものであり、決して倒錯や神経症の範曙に入れられるべきものではない。本稿では前稿「エロスの軌跡(2)」と同じく、世紀転換期から第一次世界大戦の勃発までを考察の対象としているが、ブリューアー独自の「男性英雄」というタイプが生まれてきた背景にあるヴァンダーフォーゲル運動を、この時代の社会史という観点から考察すると、そこにはヴィルヘルム時代の閉塞状況にあった父親世代への息子たちの反抗という構図が浮かび上がってくる。父親たちの二重モラルに反抗しながら、産業化による「肉体の喪失」を男性共同体のなかで補償しようとした青年たちは、そのリビドーを同性へと向ける傾向をもたざるを得なかった。また、カリスマ的男性英雄を中心に集う共同体の構成員は、職住分離によってますます影の薄くなっていく家庭の父親の代理を、家庭外で求めているのだともいえよう。しかしなによりも「同性愛の波」を招来したのは、男女関係の急激な変化であろう。社会的のみならず、ファム・ファタールの形象に集約されているように、性的にも女性が解放されてきたことに対し、男性は不安を感じ、ある者たちは共同体を構成して、すなわち「徒党を組んで」男性の特権を守ろうとする。オットー・ヴァイニンガーの完全な影響下にあるブリューアーのアンティ・フェミニズムに関する著作をとりあげながら、女性に対する攻撃がいかに男性の女性に対する不安に発しているかが、後半部で論じられる。続きを見る
|