<紀要論文>
北九州経済の数量分析

作成者
本文言語
出版者
発行日
収録物名
開始ページ
終了ページ
出版タイプ
アクセス権
JaLC DOI
概要 本論文は,九州経済が当面する重化学工業の衰退の模様を,その中心地区である北九州地区をとって数量的に分析し,北九州経済における発展の方途を模索することを目的とする。いうまでもなく,鉄鋼・化学産業の九州に占める比重の大きさは格別重要である。そして,これら産業の栄枯盛衰は日本経済および九州経済,とくに北九州経済に大いにかかわっているのである。第2次世界大戦後,わが国の復興のために石炭,鉄鋼といった基幹産...業への傾斜生産が行われた結果,北九州はその景気でことの外潤った。日本経済は昭和30年に,生産,消費の各面で戦前の水準に復帰し,さらに技術革新,新製品開発および大量の需要拡大に支えられて,投資および,消費財需要が生産財需要を,生産財需要が再び生産財需要を誘発しながら,これら基幹産業の拡大が進行した。しかし,こうした間に他方では,エネルギー革命がおこるとともに石炭産業は衰退し,北九州の石炭産業は軒なみに消滅して行ったのである。こうして北九州の産炭地域はすでにこの頃から構造的失業を抱え込んでいた。昭和48年の第1次石油ショックによって,省エネルギーの産業構造変動が起こり,いわゆる重厚長大から軽薄短小の時代が現出した。鉄鋼の需要は減少し,溶鉱炉の火は徐々に消され,鉄鋼の調整が急速に行われていった。通商官房大臣官房調査統計部編『工業統計表』によると,昭和40年における北九州市の鉄鋼の製造品出荷額は日本全体のそれの約9.9%を占めていたが,そのシェアは,昭和45年に,7.0%,昭和50年に2.7%,昭和55年に5.8%,昭和60年に5.8%と次第に低下している。それにも拘らず,北九州市の鉄鋼生産の調整はまだ十分に行われていない模様である。(表6,巻末に掲載,以下すべての表は巻末)北九州の全製造業に占める鉄鋼の出荷額シェアは,昭和40年で45.8%,昭和50年で33.8%,昭和60年で37.7%と,傾向的に低下しているものの,昭和60年でそのシェアが若千高まりつつあるのは,鉄鋼生産の調整が遅れていることを物語っている。後で指摘するのうに鉄鋼生産およびその他の重要な製造業が構造不況のために調整を行っていく段階で,失業が発生するが,この失業を吸収することができる第3次産業部門の雇用増加が十分でないために,失業率は北九州市でことさら高くなっている。また,鉄鋼などの素材型産業に代わって,機械産業などの加工組立型産業の育成が早急になされる必要があるが,この育成もままならず,さらにかつて容易であった企業誘致も現在ではかなり困難な状況にある。このように見てくると,将来の北九州の活性化のためには,この地域の政・財・官界および学界が一丸となって,この問題に取り組む必要があろう。とはいっても,活性化の政策に関して,目標と手段の関係,それらの有効性を吟味することなく無目的的に行動しても意味がない。あくまで数量的分析に立った計画策定を行うことが望ましい。本稿の分析は,北九州経済の現況をグローバルな立場から数量的に把握し,分析するものである。もちろん,この分析の対象は,フローとしての財・サービス市場の一面に限定されているので,この数量的分析の結果から直ちに北九州経済の活性化の手段を導き出すのは困難である。そういう意味で本稿は活性化の政策に関する有効な手段を示唆するに止めたい。続きを見る
目次 1, はじめに
2, 「北九州」の定義
⑴ 北部九州
⑵ 北九州地域
⑶ 北九州地方
⑷ 北九州市
3, 北九州の人口・雇用および産業構造
⑴ 北九州の人口および雇用の変動
⑵ 北九州の鉄鋼産業と機械産業
⑶ 第3次産業の構造
(ⅰ) 卸売・小売業と金融・保険・不動産業
(ⅱ) サービス経済化の内容についての検討
(ⅲ) サービス産業に関する3つの仮説の吟味(従業者ベース)
(ⅳ) 3つの法則の理論的説明
4, むすびに代えて
続きを見る

本文ファイル

pdf 540405_p195 pdf 1.46 MB 158  

詳細

PISSN
NCID
レコードID
主題
タイプ
登録日 2021.10.04
更新日 2022.02.18

この資料を見た人はこんな資料も見ています