本稿は,韓国における糧穀管理制度をめぐって提起されている問題点の解決方策の基礎資料を提示するため,1945年から1981年にいたるまでの韓国の糧穀管理制度の推移と実態について検討したものである.さらに具体的に指摘すると,1962年に始まる韓国経済の高度成長以前と以後の二つの時代に大別し,それぞれの時代をさらに時期別に区分しながら,1962年以前については,米穀需給構造をめぐって行われてきた米穀市場の統制政策と政府管理米穀の確保について,1962年以降は,経済成長に伴って変化した食糧消費構造,米価政策,米穀の流通構造等を関連させつつ,主要糧穀管理制度の背景,目標およびその制度の政策的効果について明らかにし,いかなる問題点が生じてきたかについて考察した.考察結果は以下のように要約できる.1.解放とともに進駐した米軍政は自由原則に基づき,日本統治下の米穀の統制制度を廃止し,「米穀の自由市場」を開設した.しかし,米穀の自由市場開設は日本統治下での米穀統制に対する反作用と人口の集中移動・消費人口の増加によって失敗し,米穀の需給不均衡による米価昂騰をもたらした.さらに,米価の昂騰は社会的不安の醸成と物価暴騰の大きな要因となった.これによって,米軍政は社会安定および物価安定の政策的目標下で米穀市場の全面統制という政策手段を実施せざるを得なかった.すなわち,農家の余剰米穀を収集し,それを都市消費者に配給することである.しかしながら,米穀の収集価格が市場価格より著しく低い水準で決められていたために政府集荷の実績はあがらず,米穀の統制政策は失敗し,闇取引の横行をもたらした.一方,新生政府は1948年「糧穀買入法」を制定し,同買入法によって確保した米穀を都市消費者に配給しようとしたが,当時の政府の財政能力のうえから買入を通じた米穀の確保は不可能であった.そのため,米穀市場の全面統制は失敗に終わり,配給制度を公務員と基幹産業労働者を対象とする重点配給制度とし,一般消費者に対しては自由市場で購入できる一般配給制度をとるという二元的な配給制度を実施した.米穀市場の全面統制政策は,社会安定化と物価昂騰の抑制という政策的目標を充足させたが,生産費にも及ばない水準の米穀の買上げ価格は農民の一方的犠牲を強要することになり,農民の生産意欲を低下させ,米穀の生産増大による自給の達成時期を遅させたことは否定しえない事実である.2.韓国戦争とそれ以降,再建期における糧穀管理制度の重要な役割は,兵糧米および避難民に対する救護糧穀の確保と食糧需給不均衡による米価の昂騰を抑制することであった.しかし,政府管理糧穀を糧穀買入法を通じて確保するのは不可能であった.というのは,当時の経済事情が戦時予算のため,買入資金を放出できるほど財政が安定した状態ではなかったからである.したがって,政府は糧穀買入資金を支出することなく,政府管理糧穀を確保するという政策的目標の下で,その手段として,1951年「臨時土地収得税法」を制定し,農地税の現物納付制を実施した.このような制度の実施は政府管理糧穀の安定的確保,インフレーションの抑制等,国民経済に一定度の貢献を果たしたが,不公正な高率の現物税によって農民の負担を加重させることになり,農民の余剰を非農業部門に移転させる結果,農村経済は貧困化するという悪循環が繰り返されてきた.さらに,1955年韓米間に締結された「余剰農産物導入協定」は政府管理糧穀の確保を容易にした.なお,アメリカの余剰農産物の導入は戦争によって破壊された韓国経済の復興に肯定的な効果を与えた.というのは,余剰農産物の導入は授援国の現地通貨で売却した金額のうち,15%は授援国のアメリカの行政費に利用し,残りは韓国政府が利用することによって,①慢性的な食糧不足を緩和し,②国防力の強化と財政を安定化し,③韓国の資本形成に寄与したことである.しかし,一方では,①国内農産物価格を相対的に不落させ,②小麦の多量導入によって国内生産量を減退させ海外市場への依存度を高め,③食糧不足を余剰農産物の導入に依存することによって食糧の自給を遅らせたことである.結局,余剰農産物の導入は一時的には食糧の絶対的不足を緩和することに寄与したが,長期的には韓国農業の自給努力に大きな否定的な影響を与えたといえる.3.韓国戦争以降の再建期における糧穀管理制度のもう一つの重要な役割は1957年から実施された「米穀担保融資制度」である.政府は解放以来,米価安定のため,しばしば米穀市場に介入した.しかし,1950年以降はほとんど米穀市場に介入しなかった.というのは,外国からの援助糧穀によって米価を低水準に維持できるし,さらに,アメリカの余剰農産物の導入は米価昂騰を抑制するに充分な効果があったからである.しかし,米価の季節変動は激しかった.したがって政府は米価の季節変動を緩和するため,1957年「米穀担保融資制度」を実施した.この制度は政府が収穫期に米穀を担保として買入価格の65~90%を生産農家に融資し,端境期には融資金を回収する一種の商品担保融資制度である.同制度の特徴は融資金の金利が農家に有利な条件で利用できるようになったことである.なお,同制度の実施は,政府がこの時期から価格支持政策を体系化し,さらに,制度的根拠を賦与した米価政策の転換をもたらしたという意義がある.4.1962年以降の4次にわたる経済政策によって,韓国は高度経済成長を成し遂げ,いわゆる新興工業国(NICS)の一員にのし上った.特に,1972~76年の経済成長の実績は平均年率10%を超える高度経済成長であった.このような経済成長に伴って,①産業構造と雇傭構造変化,②農家戸数と農家人口の減少,③農村労働力の高齢化および婦女子化,④耕地面積の減少,⑤都市と農村間の所得格差の拡大,⑥食品消費構造の変化と食糧の自給率の低下等が進行し,韓国の産業構造は大きく変化し,高度経済成長は農業をめぐる諸条件を質的あるいは量的に著しく変化させたが,農業の構造的変化が経済の高度化に応じて進行しなかったため,高度経済成長の中で食糧の自給率が低下したことが問題点として浮かび上がる.5.政府は経済成長計画期間中食糧需給の不均衡を是正するため,1960年代に米穀の多収穫新品種を開発,1971年から農家に普及し始めた.これによって,米穀の生産量は著しく伸び,1970年代半ばには500万トン水準を超え,米穀の自給を達成し,さらに1977年には600万トンの米穀を生産,いわゆる緑色革命の達成に成功した.しかし,1980年の冷害によって米穀の生産量は一挙に355万トン水準に落ち込み自給率は66.2%にまで低下した.一方,米穀の1人当たり年間消費量は国民所得および人口の増加で年々伸び,1976年の120.1kgから1979年には135.6kgにまで増加した.しかし,1979年以降からは,食生活の変化にともなって米穀の1人当たり年間消費量は減少傾向を示すにいたった.韓国においても米穀の消費量が飽和水準に達したともいえよう.さらに,経済の高度成長による国民所得の増加に伴って食料品消費の高級化,多様化,社会化が進行した.すなわち,1人1日当たりカロリー摂取量は1962年の1,943kcalから1981年には2,531kcalまで増加し,動物性食品が占める割合も1962~81年のあいだに2倍以上増加することによって,食品の高級化が進行すると同時に米穀中心の食糧消費構造から動物性食品への代替が加速化されることが見込まれる.また,都市家計の食料品費支出額に占める割合を品目別に見ると,野菜と果実類の支出額は増加し,穀物の場合は,1965年の59.9%から1981年には34.2%まで低下した.これは食品消費の多様化を意味する.一方では,食品消費の社会化が進展している.すなわち,外食費が占める割合が1965~81年のあいだに約3倍近く増加したことがそれを実証している.このような観点から見る場合,国民の所得増加によって食料品の消費構造の変化はますます進展すると思われる.したがって,政府の米穀増産中心の政策も重要でもあるが,それとともに畜産および経済作物の増産を並進させる政策が望ましい.6.韓国における米穀の政府買入価格の決定に際して用いられた算定方式は原則的には,生産費補償方式である.しかし,政府は確固とした米穀の買入価格決定基準なしに時々の経済条件を参考にしながら恣意的に買入価格を決定してきた.すなわち,政府は米穀を賃金財として取り扱い,一方では経済成長を阻害しないように消費者米価の上昇を抑制し,他方では政府が物価水準と消費者負担等を考慮し,その年の事情によって買入価格を決定してきたのである.なお,政府買入価格の決定基準として採択された方式が毎年変わったことは,政府買入価格の決定基準がまだ整っていないことを意味する.この点については今後研究を要する課題である.一方,このように策定された米穀の買入価格と稲作の実生産費を比較してみると,米生産農家全体の約90%までの農家の実生産費が補償される水準に決定されてきた.経済発展とともに,都市勤労者所得と農家所得の格差は段々拡大された.1965年は,ほぼ,同一水準であった.それ以降,1973年までは60~87%水準に低下し,1970年代の米穀の買入価格の引上げによって,1973~77年までは農家所得が都市勤労者所得を上回った.しかし,1978~81年の間には85%水準に落ち込んだ.その要因は,農家所得の約70%を農業所得に依存しているが,農業経営規模が零細な韓国農業では農業所得の増大には限界があるからである.したがって,農家所得を増大するためには,何よりも,農外所得の増大方策と米価支持政策による適正価格の保障が重要である.7.生産者米価の引上げは農家所得の増大,農民に対する米穀の増産意欲の鼓吹等の効果をもつが,他方では,物価の上昇,消費者家計および政府財政支出の増大をもたらす.すなわち,一つの政策目標を達成するため,他の一つの政策目標を犠牲にされる可能性が生じる.政府はある一つの政策目標が一方的に他を犠牲にすることを避けるため,その政策手段として二重穀価制を実施した.しかし,二重穀価制の実施は売買逆ざやおよび糧穀管理運用上の赤字をもたらした.その赤字額は1981年現在,11,160億ウォンに達する.しかし,このような糧管赤字の補塡が韓国銀行からの長期借入と糧穀証券の発行などの金融的な方法に依存することによって,通貨増発によるインフレーション要因になっており,解決すべき国民的課題として浮かび上がった.なお,糧管赤字の累積は政府財政に圧迫を加えて,米穀の政府買入量を減少させた.このように二重穀価制の実施は国民経済的に見る場合,マイナス効果をもたらしたが,一方では,①米穀の増産,②米価下落の防止,③農家所得の増大,④消費者家計の安定効果等が大きくめだつ.今後赤字補塡の解法方法については研究すべき課題である.8.韓国における米穀の流通組織は政府管理組織と自由市場組織(農協,商人)で,二元化された.すなわち,米穀市場は政府,農協,商人の三主体によって運営されている.一方,米穀の流通経路別流通量は米穀の総商品化量のうち,1975~79年の間までは政府経路が35~43%の水準を占めていたが,1981年には政府が15.4%,農協が1.0%,商人経路が83.6%を占めている.政府取扱量が減少したのは政府米の米質が一般米(主に商人経路)に比べ劣っているからである.すなわち,国民所得の増加によって,国民の良質米に対する選好が増大したことを意味する.なお,一般米の選好増大傾向は政府米だけで,一般米の価格安定調節機能を果たすためには限界があることを意味する.したがって,一般米の価格調節機能を果たすためには,消費者選好に合った米穀の品種の開発と農協の米穀市場への参入および健全な米穀の卸売市場の育成が必要であると考える.
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