<紀要論文>
「いき」の外延的構造と風流 : ニーチェ哲学を手懸りとして

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概要 本論文は、九鬼周造(1888-1941) の『「いき」の構造』(1930)の第三章「「いき」の外延的構造」を中心にしつつ、如何なる形式の美学において「いき」が取り扱われているかを解明することを目的にする。九鬼は、「いき」論に用いている方法論は解釈学だと述べているが、第三章では或る趣味体系の一員として「いき」を取り扱っているため、彼が用いている方法は解釈学より美学論ではないかという問題が生じる。論文...の第一節と第二節では、「いき」の外延的構造における分析方法を解明する。その分析方法においては、「いき」と関連している趣味――上品、下品、派手、地味、意気、野暮、渋味、甘味――が分析される。先ず、二つ一対の趣味の組み合わせ四組と「いき」が如何なる関係性があるのかが分析される。次に、それらの対になった組み合わせは、人性的一般存在と異性的特殊存在といった二つの公共圏に分けられ、それらの趣味の対立性はさらに、価値判断か非価値判断かの区別に基づくとされ、これによって「いき」の外延的構造が成立する。第三節では、「「いき」の外延的構造」の場合と非常によく似ている分析方法を用いる他の九鬼の著作、「風流に関する一考察」(1937)に触れる。「いき」と同様に「風流」も或る美学体系に属するが、「いき」と異なって「風流」は趣味とは呼ばれず、耽美的経験と呼ばれている。なぜ九鬼は、「いき」論と同様の分析方法を用いた「風流」論を美学として認めながら、「いき」論の方だけを解釈学としているのか。第四節では、その問いへの答えを試みる。ニーチェの芸術哲学における享受的美学と能動的美学の区別を踏まえて、「いき」論と風流論における美学体系を分類する。「いき」は、趣味として理解されているため鑑賞者中心の美学であり、享受的美学である。すなわち、「いき」論は如何なる美感・感性・美意識であるかを解説する美学論である一方、「風流」は、美的生活を目指す美学であるため創造者中心の美学論である。九鬼にとって風流論は風流人の芸術家への道を明らかにする美学であるため、能動的美学、詩作論であるとされているのである。最後に結論として、『「いき」の構造』の方法論的な意義を論じる。続きを見る
目次 はじめに 一.外延的なアプローチにおける人間関係、対立と趣味 二.「いき」の趣味体系 三.風流の分析 : 離俗、耽美、自然 おわりに 四.風流と「いき」の美学的位置 : ニーチェを手懸りとして

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登録日 2016.03.11
更新日 2021.03.02

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