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<その他>
吉田絃二郎
ヨミ
ヨシダ ゲンジロウ
編者
花田, 俊典
スカラベの会
データベース名
スカラベ人名事典
人物詳細
1886(明治19)年11月24日、佐賀県神崎郡の生まれ。小説家・随筆家。1956年4月21日没。〈著書〉『運命の秋』(改造社、大14.2)『吉田絃二郎全集』全18巻(新潮社、昭6-9)*「吉田絃二郎が明治十九年十一月、仁比山近くで生まれたということを書いた。吉田絃二郎といえば、大正十年に感想集「小鳥の来る日」を出したが、以来二百版を重ねるほど青年子女に愛読された。宗教的、思念的、人道主義的作風だが、多分に感情的であり、詩的でもあった。/彼は明治四十四年早稲田大学を卒業、大正三年三月、処女作小説「磯ごよみ」を発表して好評をえた。その後、対馬鶏知の砲兵隊に入隊の折の見聞をもとにして書いた「島の秋」(大正六年)が出世作となった。以来、文壇で小説、戯曲を発表して活躍したが、第二次大戦後、戦後の風潮の中でかえりみられず、老齢とパーキンソン氏病に苦しみ、武蔵野の一角で孤独に生き、昭和三十一年四月二十一日、七十二歳で死んだ。/この吉田絃二郎の生地はどこか、佐賀工業学校にどこから通ったか明確でなかった。これを追求して明らかにしたのは、佐賀県教育庁文化課、文化財係長の柳川俊二で、そのことを「神埼町史」に書いている。それによると、絃二郎は、明治十七年十一月二十四日、吉田栄作、母りつの二男として、神埼郡神埼町大字尾崎字唐香原三九二四(旧西郷村)に出生、四歳までいた。/佐賀工業時代の三年間、金工科に入学し、親戚の佐賀市嘉瀬町一三三番地、布上熊次郎宅に寄留、成績抜群で一年から卒業までトップで押し通したという。この佐賀工業時代の三年間に、彼の文学への関心が芽生えたのであった。」(原田種夫『黎明期の人びと―西日本文壇前史』西日本新聞社、昭49・12)
関連情報
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/collections/q_fukukin_bio
詳細
レコードID
442367
権利情報
スカラベ人名事典の人物詳細の著作権は、それぞれの執筆者に属します
登録日
2013.08.16
更新日
2020.10.26