<その他>
三好十郎
ヨミ | |
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編者 | |
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人物詳細 | |
関連情報 |
詳細
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権利情報 | |
登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |
ヨミ |
ミヨシ ジュウロウ
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編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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データベース名 | |
人物詳細 |
1902(明治35)年4月21日(3月25日・4月23日・同27日とも)、佐賀市八戸町の生まれ。戯曲家・小説家。父森和三(もり・わさぶ)の次男だったが、和三の長兄丈吉の次男として出生届がなされ、4歳のとき、市内元町の元士族三好サカの養子となった。が、じっさいは母方の祖母の副島トシに養育され、その祖母が大正2年末、74歳で死んだとき、12歳の彼は身をもって孤児の心境を知ったという。2日間佐賀市内を放浪し、市内で材木商をしている伯母夫婦を頼り、荷馬車を引くなどした。苦学して佐賀中学(旧制)に進学し、大正9年卒業。上京して早稲田大学文学部英文科を卒業した。昭和3年2月、壺井繁治・高見順らと左翼芸術同盟を結成し、機関誌「左翼芸術」を創刊。プロレタリア劇作家として登場したが、マルクス主義にあきたらず、しだいに左翼陣営から離れた。昭和9年4月、長篇戯曲『斬られの仙太』(ナウカ社)を上梓し、左翼運動の困難と内部矛盾を彼固有の「困難でじみちなリアリズム」の姿勢で描き出した。戦後は『廃墟』(桜井書店、昭22・6)『胎内』(世界評論社、昭24・8)などの諸作を発表し、また原子爆弾は神への冒だと訴える戯曲「冒した者」(昭27・7民芸初演)を書き、昭和33年12月16日、数えどし57歳で没した。『三好十郎の仕事』全3巻別巻1(学芸書林)がある。
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関連情報 |
レコードID |
442293
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権利情報 |
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登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |