<その他>
松本清張
ヨミ | |
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人物詳細 | |
関連情報 |
詳細
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権利情報 | |
登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |
ヨミ |
マツモト セイチョウ
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編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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データベース名 | |
人物詳細 |
1909(明治42)年12月21日、福岡県小倉市(現・北九州市)に生まれた。本名は清張。大正13年、清水尋常高等小学校の高等科を卒業し、電気会社の給仕や印刷所の版下工などをしたあと、昭和12年、大阪朝日新聞九州支社の広告部嘱託となり、やがて正社員となった。昭和18年10月、3箇月間の教育召集を受け、翌19年6月、再召集となり福岡の第24連隊に入隊。二等兵(衛生兵)から一等兵に昇進し、旧朝鮮で敗戦を迎えた。20年10月末、復員。朝日新聞西部本社に復職し、広告部でデザインを担当した。40歳を過ぎてから本格的に小説を書きはじめ、昭和25年、「週刊朝日」募集の「百万人の小説」に短篇「西郷札」で応募し入選。直木賞候補にもなった。28年1月、「或る『小倉日記』伝」(「三田文学」昭27・9)で第28回芥川賞を受賞。同年11月、東京本社へ転勤となったあと、31年3月末で同社を退職、創作に専念した。『点と線』(光文社、昭33・2)『眼の壁』(光文社、昭33・2)『黒地の絵』(光文社、昭33・6)などの社会派推理小説は大ベストセラーとなって、推理小説界は幅広い読者層を開拓、これをもって「清張以後」と称される。松本清張の関心は、さらに古代史や現代史にも向けられ、膨大な著作を残して、平成4年8月4日、肝臓癌のため没した。平成10年、北九州市が遺族から旧蔵書や遺品を譲り受けて松本清張記念館(市内小倉北区)を開館。館内に書斎を復元し、資料を整備し、企画展を開催している。 ⇒デビュー当時の回想文
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関連情報 |
レコードID |
442261
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権利情報 |
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登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |