ヨミ |
ニシダ ノブハル
|
---|---|
編者 |
花田, 俊典
|
スカラベの会
|
|
データベース名 | |
人物詳細 |
1903(明治36)年1月12日、北海道樺戸郡新十津川村橋本生まれ。政治運動家。新十津川村尋常高等小学校・札幌第一中学校・第一高等学校(文甲)を経て昭和2年、東京帝国大学文学部倫理学科卒業。在学中から新人会で活動。新人会森川町合宿所では亀井勝一郎と同室だった。社会科学研究会哲学研究会に所属し、大衆教育同盟本部の活動に携わる。北海道の小作争議支援にも赴く。大学卒業後、全日本鉄道従業員組合本部に書記として勤務する(組織名・山田春男)。昭和2年12月、幹部候補生として京都伏見聯隊に入隊し、1年後陸軍歩兵伍長で除隊する。4年1月「無産者新聞」編集局員となり、同年3月日本共産党に入党する(無産者新聞細胞に所属、組織名・土岐)。同年「4・16事件」で検挙されたが、6年11月に保釈される。東京滞在中は、中野重治・原泉方に石堂清倫とともに同居する。保釈中に九州の共産党組織再建のため党中央オルグとして派遣される。7年8月7日、福岡に着任以来、九州地方の共産党や、同年2月の「福岡全協事件」で壊滅状態になった、同党の指導下にあった日本労働組合全国協議会(全協)の再建に力を注ぎ、同年12月には九州地方委員会を確立して委員長に就任した(組織名・岡/坂田)。翌8年2月11日の「九州共産党事件」(検挙者508名、うち福岡県は323名)の前日、西鉄久留米駅前で検挙され「取り調べ中」の11日に福岡署で死亡したといわれる。参考文献として、牛島春子「物語西田信春」(「風雪」昭40・4・20―41・11・20)、石堂清倫・中野重治・原泉編『西田信春書簡・追憶』(土筆社、昭45・10)、山岸一章『革命と青春―日本共産党員の群像』(新日本出版社、昭45・8新日本選書18)所収「九州地方委員長西田信春」、日本共産党福岡県委員会県党史資料委員会編集『わが地方のたたかいの思い出第三集 西田信春の生涯とその戦友たち』(福岡民報社、[1993])などがある。【坂口博】
|
関連情報 |
レコードID |
442120
|
---|---|
権利情報 |
スカラベ人名事典の人物詳細の著作権は、それぞれの執筆者に属します
|
登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |