ヨミ |
トクナガ スナオ
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編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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データベース名 | |
人物詳細 |
1899年1月20日、熊本県飽託郡花園村(現・熊本市)の生まれ。小説家。黒髪尋常小学校の6年生2学期中から熊本市内の印刷工場見習いとなり、大正11年9月、山川均を頼って上京。博文館印刷所(のち共同印刷と改称)に入社し、同社の労働争議で解雇された体験をもとに長篇『太陽のない街』(戦旗社、昭4・12)を上梓。プロレタリア小説の代表的作家の一人となった。妻トシヲ(旧姓佐藤、宮城県登米郡登米町出身、明37・11・2―昭20・6・3)とは大正13年4月に結婚。戦争末期、次女みち子と3女街子を連れて亡妻トシヲの郷里に疎開。昭和20年8月、同地にて敗戦を迎えた。11月、東京に戻り、中野重治・宮本百合子・蔵原惟人らと新日本文学会の創立準備に関わり、12月30日、発起人の一人として創立大会に参加。翌21年1月、日本共産党に入党。長篇「妻よねむれ」を「新日本文学」昭和21年3月創刊号から23年10月号まで断続的に連載。23年3月、「労働者文学」を創刊主宰し、同年4月、山口カネと結婚(26年5月協議離婚)、26年6月、鈴木晶子と結婚(27年10月協議離婚)、29年4月、辻ヨシエと結婚。昭和25年の党分裂の際は、いったん新日本文学会中央グループと歩調を合わせながら同年12月に脱退し、「人民文学」に参加した。33年2月15日、癌のため死去。戦後の著書は『がま』(大阪・高島屋出版部、昭22・6)『あぶら照り』(新潮社、昭23・10)『私の小説勉強』(飯塚書店、昭24・11)『村に来た文工隊』(目黒書店、昭26・6)『静かなる山々』(蒼樹社、昭27・9、のち第一・二部、角川新書、昭30・9)『草いきれ』(現代社、昭30・10)などがある。〔参考〕久保田義夫『徳永直論』(五月書房、昭52.5、※「徳永直略年譜」「徳永直著作年譜」)
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関連情報 |
レコードID |
442046
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権利情報 |
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登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |