ヨミ |
ショウノ エイジ
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編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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データベース名 | |
人物詳細 |
1915(大正4)年11月20日、山口県阿武郡萩町(現・萩市)の生まれ。童話作家・画家。庄野潤三の実兄。講談社文庫本(『ロッテルダムの灯』『にぎやかな家』)付載の自筆年譜によると「父貞一、母春慧の次男。父親は当時、萩中学の英語教師であった。父母の郷里は徳島で、私の戸籍簿の出生地も徳島になっている」。一家はまもなく大阪に移住し、英二は父親が大正6年に創立した帝塚山学院の幼稚園部に入園した。昭和11年、関西学院専門部文学部を卒業し、翌年、現役兵として大阪歩兵第三十七連隊に入営。同15年、中国南昌錦江付近の戦闘で負傷して、いったん内地送還になったが、大東亜戦争開始の翌年、ふたたび応召し、「ジャワ俘虜収容所員としてチラチャップに勤務したのを皮切りに、敗戦に至る迄、ビルマ、濠北を除く南方占領地域を転々した」。敗戦はマレー半島の山中で知った。部隊は投降し、レンパン島に抑留されたのち、昭和21年6月に大尉で復員した。復員後はマラリヤの再発に苦しんだという。手塚山の自宅に落ち着き、創作の勉強を再開。NHK懸賞募集の放送児童劇に「野鴨と少年」を応募し入選した。23年、結婚し、手塚山学院の教師となった。27年7月から11月まで西ヨーロッパ、中近東、インド等を旅行。37年から毎年、絵画の個展を開催。41年、手塚山学院大学の創立にともない教授となり、五十年四月、学長に就任した。『ロッテルダムの灯』(レグホン舎、昭35・5)第9日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。『星の牧場』(理論社、昭38・11)で第4回日本児童文学者協会賞、第11回サンケイ児童出版文化賞、第2回野間児童文芸賞を受賞し、さらに『アルファベット群島』(偕成社、昭52・3)で第7回赤い鳥文学賞を受賞した。〈著書〉『子供のデッキ』(ミネルヴァ書房、昭30・12)『ロッテルダムの灯』(レグホン舎、昭35・5)『絵具の空』(理論社、昭37・12)『星の牧場』(理論社、昭38・11)『雲の中のにじ』(実業之日本社、昭40・2、NHK児童文学奨励賞)『きゅるきゅる』(福音館、昭40・7)『小鳥の森』(垂水書房、昭40・7)『海のメルヘン』(理論社、昭40・12)『うみがめ丸漂流記』(ポプラ社、昭43・11)『ごちそう島漂流記』(あかね書房、昭43・12)『にぎやかな家』(講談社、昭44・5)『まほうつかいとペリカン』(実業之日本社、昭44・12)『ムギワラの季節』(理論社、昭45・5)『ユングフラウの月』(創文社、昭45・6)『白い帆船』(創文社、昭46・1)『愛のくさり』(人文書院、昭47・2)『アレン中佐のサイン』(岩波書店、昭47・12)『キナバルの雪』(創文社、昭49・1)『アルファベット群島』(偕成社、昭52・3)など。『庄野英二全集』全11巻(偕成社)がある。
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関連情報 |
レコードID |
441912
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権利情報 |
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登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |