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<その他>
小柳次一
ヨミ
コヤナギ ツグイチ
編者
花田, 俊典
スカラベの会
データベース名
スカラベ人名事典
人物詳細
1907年(明治40年)、福岡県山門郡大和村(現大和町)の生まれ。報道カメラマン。実家は酒屋(卸し・小売り)。中学伝習館を4年修了で、熊本の第五高校を受験し不合格。そのまま熊本に残り、中学は中退する。大正13年に上京し、東京学芸通信社で給仕をしながら夜学に通う。カメラマンとなり、日刊自動車新聞、写真通信社を経て昭和12年10月、名取洋之助の日本工房(のち国際報道工芸社と改称)に移る。13年1月より、陸軍報道部嘱託として、上海を拠点に各作戦に従軍する。日米開戦後は報道班員としてフィリピン戦線へ1年間、徴用される。昭和18年1月、陸軍報道部嘱託に復帰。戦後の昭和22年11月、サン・ニュース・フォト社入社、『週刊サンニュース』でカメラマンとしての仕事を再開、INP通信などで報道カメラマンとして活躍する。昭和39年の東京オリンピックも取材撮影する。昭和49年4月、戦友会関係者らに招かれ、宮崎市内に転居、隠居した。石川保昌の聞き書きと構成によって『従軍カメラマンの戦争』(新潮社、平5・8)が刊行された後、1994(平成6)年8月3日死去。平成13年11月に、東京・平和祈念展示資料館にて特別企画展「今よみがえる兵士の労苦―元陸軍従軍カメラマン小柳次一が見た戦争」が開催される。【坂口 博】
関連情報
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/collections/q_fukukin_bio
詳細
レコードID
441833
権利情報
スカラベ人名事典の人物詳細の著作権は、それぞれの執筆者に属します
登録日
2013.08.16
更新日
2020.10.26