ヨミ |
コウノ セイウン
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編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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データベース名 | |
人物詳細 |
1887(明治20)年11月6日、福岡市の生まれ。俳人。福岡市官内町(現・博多区)の一行寺(浄土宗)に生まれた。本名は裏辻定運(うらつじ・じょううん)。生後まもなく農家に里子に出され、同25年、市内片土井町(のち市内馬出に移転)にあった称名寺(時宗)住職の河野智眼の養子となった。中学修猷館に在学し、やがて神奈川県藤沢の時宗総本山遊行寺の時宗宗立学林に学んだ。明治38年、帰郷し、称名寺に寄寓。俳句は大正3年末から、ホトトギスに投句を始めた。大正7年から2年間、時宗総本山遊行寺の執事をつとめ、その後宮城県亘理町の専念寺の住職をしたあと大正12年6月に帰郷。翌年、福岡市の清原枴童(きよはら・かいどう)らと木犀会を結成し、大正14年3月、俳誌「木犀」を創刊。昭和5年、「木犀」主宰を枴童から引継ぐ。同9年、「ホトトギス」同人となり、同16年、戦時下の県下五俳誌(「雷鳥」「やまたろ」「貝柱」「無花果」「木犀」)合併による俳誌「冬野」を主宰。同24年、福岡県太宰府町観世音月山に「花鳥山仏心寺」を創建開山。多くの俳弟子たちが浄財をつのって創建した、いわば俳諧寺であった。同39年、西日本文化賞受賞。俳人協会名誉会員。昭和49年1月24日没。享年87。村上護『仏心の俳句』(佼成出版社、平4・3)に、河野静雲の生涯を素描した一章がある。静雲没後、俳誌「冬野」は小原菁々子が継承。〈句集〉『閻魔』(静雲句集〝閻魔〟刊行会、昭15・12)『閻魔以後』(西日本新聞社、昭48・11)『脚註名句シリーズ7 河野静雲集』(俳人協会、昭60・2)かゝる世の閻魔も嚇怒(かくど)力なく/亡妻(つま)よ聴け観世音寺の除夜の鐘/かゝる世の閻魔も嚇怒力なく/亡妻よ聴け観世音寺の除夜の鐘
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関連情報 |
レコードID |
441811
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権利情報 |
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登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |