<その他>
岡松和夫
ヨミ | |
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編者 | |
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人物詳細 | |
関連情報 |
詳細
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権利情報 | |
登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |
ヨミ |
オカマツ カズオ
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編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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データベース名 | |
人物詳細 |
1931(昭和6)年6月23日、福岡市妙楽寺町一三番地の生まれ。小説家。父は岡松實、母はハツ。兄3人、姉2人の第6子。5歳のとき、父親が喉頭結核で亡くなり、以後は母が付き添い看護婦として生活を支えた。奈良屋尋常小学校から、1944(昭和19)年、旧制福岡中学に入学。勤労動員で席田飛行場(現・福岡空港)の整備作業などに行った。1945年6月19日夜間の福岡市大空襲により、自宅が焼失。このため母親は精神的に不安定となり、翌年1月、49歳で死去した。48年、福岡中学第4学年修了で、旧制福岡高校文科に入学、同校の最後の入学生の一人となる。同級生に、のちにシェイクスピア研究家となる小田島雄志らがいた。連載自伝エッセイ「こぞの雪」(「西日本新聞」、85・4・12―6・25)によると、「私の僅か一年間の高校生活を支配したのは青春の感傷性だった」といい、「ドイツ語の歌を覚え」たり、「女の子のことをメッチェンと言ったり、金のことをゲルと言ったりすることを覚えた」。クラスメートの小田島雄志は「九州育ちではなかったので、なまりのない綺麗な言葉を話した」という。翌年6月、学制改革により東京大学文科二類を受験したが、失敗。親戚を頼って上京した。翌年合格し、文学部仏文科に進学。1954年、「スタンダールのリアリズム」を卒論として提出して卒業。就職せずに同大国文科に学士入学した。同大学院に進学したあと、57(昭和32)年4月、横浜学園高等学校に就職。同年2月に瀬山梅子と結婚。59年9月、短篇「壁」で第9回文学界新人賞を受賞。64年11月、同人誌「犀」創刊に参加。同人に佐江衆一や、加賀乙彦、立原正秋らがいた。 66年、関東学院短大国文科専任講師(のち教授)。福岡市近郊の篠栗を思わせる舞台で、戦後の混乱期、肺結核のため、村の観音堂で暮らす女を主人公にした「小蟹のいる村」(「文学界」昭49・12)などで芥川賞候補。76年1月、福岡市を舞台に戦中戦後の少年たちの姿を描いた短篇「志賀島」(「文学界」昭 50・11)で第74回芥川賞を受賞。他の著作に『深く目覚めよ』(講談社、昭49・1)『詩の季節』(新潮社、昭55・1)など多数ある。【長野秀樹】
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関連情報 |
レコードID |
441673
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権利情報 |
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登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |