<その他>
一色次郎
ヨミ | |
---|---|
編者 | |
データベース名 | |
人物詳細 | |
関連情報 |
詳細
レコードID | |
---|---|
権利情報 | |
登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |
ヨミ |
イッシキ ジロウ
|
---|---|
編者 |
花田, 俊典
|
スカラベの会
|
|
データベース名 | |
人物詳細 |
1916(大正5)年5月1日、鹿児島県沖永良部島の生まれ。小説家。本名・大屋典一。幼くして父を亡くし(無実の罪で獄中で結核死)、また母とも生別。大正12年、鹿児島尋常高等小学校に入学。複雑な家庭事情のため、転出入をくり返し、小学5年生の夏頃、母親と一緒に帰郷。母の死後、鹿児島市へ戻された。昭和12年4月、上京し、文芸春秋社の佐々木茂索を訪ね、以後、師事する。敗戦前後は西日本新聞社東京支社に勤務。「冬の旅」(「三田文学」昭24・8)で三田文学賞候補。昭和41年12月、佐々木茂索が死去。心機一点するため、本名の「大屋典一」から「一色次郎」という筆名にし、昭和42年、「青幻記」(「展望」昭42.8)で第3回太宰治賞。上京以来、じつに苦節30年の成果であった。「沖永良部島知名の生まれの彼は38年3月、36年ぶりに帰郷。ふるさとで昭和2年、36歳で死んだ母・大屋ムメ(旧姓黒木)の遺骨を、鹿児島市城山墓地にある父・元翠の遺骨とともに東京に持帰って埋葬する。ムメの死は病死だが、小説ではサンゴ礁の海で波に洗われながら死んでいく」(河谷日出男『おんな風土記―西日本の群像をさぐる』下関・赤間関書房、昭和45・8)。ドキュメント『日本空襲記』(文和書房、昭47・6)や、共同編集の『東京大空襲・戦災誌』全5巻があり、後者は菊池寛賞を受賞した。昭和63年5月25日没。〈著書〉『太陽と鎖』(河出書房新社、昭39)『小魚の心』(家の光協会、昭52)『運河通り』(三一書房、昭44)『影絵集団』(文和書房、昭49)『海の聖童女』(筑摩書房、昭42)『日本空襲記』(昭47)『魔性』(三一書房、昭54)
|
関連情報 |
レコードID |
441542
|
---|---|
権利情報 |
スカラベ人名事典の人物詳細の著作権は、それぞれの執筆者に属します
|
登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |