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概要 |
1675年バタヴィアの司祭ヘルマン・ブショフはヨーロッパ人としては初めて中国で生まれた灸療法とその効果を、特に足部痛風について著した。この本は大いに注目され、アンドレアス・クライヤー、ヴィレム・テン・ライネ、エンゲルベルト・ケンペル等の旅行者がさらに鍼灸の研究のため日本へ行こうという刺激になった。しかし、最初の熱狂はすぐにさめてしまった。ひとつには東アジアの鍼灸についての記述が一部わかりにくかった...からであり、また、成功する例も、しない例もあり、短期間であきらめてしまう医師もいた。当時問題となったものの中には今日でも生きているものがある。中国医学の治療における目的は何なのか。効果の機序をどう説明するのか。この理論上の概念を灸にも用いてよいものか。それとも東アジアの医学は無視し、西洋の伝統だけに従うべきなのか。後者の立場をとったのがこれまでの研究ではほとんど注目されていないマティアス・ゴットフリート・プアマンで、彼は外科医ではあったが、大学で医学を学んだのではなく、そのためもっぱら実践を重視していた。彼のさまざまな著書を調べると、彼が鍼灸についての自身の記述を常に書き直し、より良い、新たな治療の例を紹介していることがわかる。彼の才能とわかりやすく冷静な記述により灸は非常な名声を取り戻した。 * 17世紀の外科医の活動内容、 * プーアマンの略歴、 * 1692年の新しい研究、 * 1699年の症例、 * 1710年の新しい観察続きを見る
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