<アーカイブ資料>
志摩郡辺田潟御境目一件ニ付取返シニ相成証文写

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概要 「怡土郡図」(三苫文書2136)で分かるように、辺田村の対岸は幕府領の村であった。辺田潟の新田開発は18世紀初頭にはすでに始まり、寛保年間(1741−43)に、辺田村の庄屋が、幕府領の岩本村・加布里村の庄屋たちとの間で境目をめぐる協定をおこなった。本記録は、前原宿代官柳瀬与平次が所持していた境目協定に関する文書を、文化10(1813)年3月に福岡藩家老の三奈木黒田家が関与して書写したものであろう。...「志摩郡御境目絵図」(三奈木黒田家文書606)とも関連している。続きを見る

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登録日 2016.03.22
更新日 2023.11.01

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