ヨミ |
ムコウダ クニコ
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編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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データベース名 | |
人物詳細 |
1928(昭和4)年11月28日、東京世田谷の生まれ。脚本家・小説家。父・敏雄 母・せいの長女。父親は保険会社のサラリーマン。昭14年1月、父親の鹿児島転勤によって、鹿児島市上之平へ転居。小学3年生から5年生まで鹿児島市に住んだ(成人するまでに父親の転勤で4つの小学校、2つの女学校に通った)。昭17年4月、県立高松高女に入学、下宿生活をする。昭22年4月、実践女子専門学校国語科に入学。昭25年同校卒業。財政文化社に入社、社長秘書。昭27年、雄鶏社へ入社『映画ストーリー』の編集部へ配属。昭33年10月、初のテレビ台本「火を貸した男」の脚本を書く(日本テレビ「ダイヤル110番」の第55話として放映)。昭35年12月、雄鶏社を退社。雑誌編集者・ラジオ作家・週刊誌のライター(『週刊平凡』『週刊コウロン』ペンネームは、幸田邦子)をする。昭37年3月の「森繁の重役読本」(TBSラジオ)、昭39年脚本の「七人の孫」(TBS)以後、500本近いテレビドラマの脚本を書く。この年、伽俚伽(猫)を連れて家を出る。昭50年10月、乳癌のため、東京女子医大に3週間入院。12月、『銀座百点』へ初の連載エッセイ。昭53年5月、「ままや」開店。昭54年2月、鹿児島旅行。昭55年7月17日、第83回直木賞受賞。10月13日、東京プリンスホテルにて祝う会。昭56年8月22日、台湾旅行中に事故死。享年51歳。絶筆は、三楽オーシャンの「ボン・メルシャン」に寄稿した「楽しむ酒」。9月21日、青山斎場にて葬儀。お墓は多磨霊園にある。法名は芳章院釈清邦大姉。向田邦子のエッセイに、最多登場するのは父・敏雄。第2位がマミオ(猫)。〈エッセイ・小説集〉『寺内貫太郎一家』(サンケイ出版、昭50・4)『父の詫び状』(文芸春秋、昭53・11)『眠る盃』(講談社、昭54・10)『無名仮名人名簿』(文芸春秋、昭55・8)『思い出トランプ』(新潮社、昭55・12)『あ・うん』(文芸春秋、昭56・5)『霊長類ヒト科動物図鑑』(文芸春秋、昭56・9)『隣りの女』(文芸春秋、昭56・10)『夜中の薔薇』(講談社、昭56・10)『男どき女どき』(新潮社、昭57・7)『女の人差し指』(文芸春秋、昭57・8)『寺内貫太郎一家』(新潮社、昭58・1)〈文庫〉『眠る盃』(講談社、昭56・6)『父の詫び状』(文芸春秋、昭56・12)『寺内貫太郎一家』(新潮社、昭58・3)『あ・うん』(文芸春秋、昭58・4)『思い出トランプ』(新潮社、昭58・5)『無名仮名人名簿』(文芸春秋、昭58・8)〈対談集〉『向田邦子全対談集』(世界文化社、昭57)〈シナリオ集〉『向田邦子TV作品集』全5巻(大和書房)―『1 阿修羅のごとく』(昭56・12)『2 幸福』(昭57・3)『3 冬の運動会』(昭57・5)『4 家族熱』(昭57・6)『5 蛇蠍のごとく』(昭57・7)〔参考〕『向田邦子 ふたたび』(文芸春秋臨時増刊、昭58)『向田邦子の恋文』(新潮社、平14) 【恒成美代子】偏食・好色・内弁慶・小心・テレ屋・新しもの好き・体裁屋・嘘つき・凝り性・怠け者・女房自慢・癇癪持ち・自信過剰・健忘症・医者嫌い・風呂嫌い・尊大・気まぐれ・オッチョコチョイ…きりがないからやめますが、貴男はまことに男の中の男であります。私はそこに惚れているのです。(『眠る盃』「マハシャイ・マミオ殿」より)
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関連情報 |
レコードID |
442297
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権利情報 |
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登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |