ヨミ |
タナカ チカオ
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編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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データベース名 | |
人物詳細 |
1905(明治38)年10月10日、長崎市馬町の生まれ。戯曲作家。父親は長崎医科大学(現・長崎大学医学部)教授。儒教的教養を持つ厳父だったという。長崎県立中学をへて昭和5年3月、慶応大学文学部仏文科を卒業。在学中は中学の後輩の山本健吉や、原民喜、佐藤朔らと親交を結んだ。同7年、岸田國士・岩田豊雄(獅子文六)らの第1次「劇作」創刊同人となり、翌年、戯曲の第1作「おふくろ」(「劇作」昭8・3)を発表、築地座が上演した。9年、辻村澄江(のち作家の田中澄江)と結婚。昭和十年代は劇作から離れたが、12年の文学座創立には参加し、研究所の主任をつとめた。18年、応召した弟(軍医)が戦死。翌年、文学座を去って鳥取市に疎開し、木造船工場で働いた。戦後になって旺盛に執筆し、「雪の涯」(「劇作」昭22・8)などを発表。翌年、文学座が初演(岩田豊雄演出)し、サルトル、カミュのブームとあいまって実存主義戯曲として評判になった。29九年、「教育」を俳優座で初演し、読売文学賞。以後も、日本近代心理劇の第一人者として活躍し、平成7年11月29九日没。没後、浦上天主堂の敷地内に彼の文学碑が建立された。『田中千禾夫戯曲全集』全7巻(白水社、昭35・6―42・2)がある。彼の妻の田中澄江は東京都出身で、熱心なカトリック信者。オペラ「二十六人の殉教」など長崎を舞台にした作品も少なくない。彼女は平成12年3月1日、91歳で没した。最晩年に自伝的短篇連作『夫の始末』(講談社、平7・10)があり、これによって女流文学賞および紫式部文学賞を受賞した。
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関連情報 |
レコードID |
441998
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権利情報 |
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登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |