| ヨミ |
シマオ トシオ
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| 編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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| データベース名 | |
| 人物詳細 |
1917(大正6)年4月18日、横浜市の生まれ。小説家。関東大震災で罹災し、大正14年秋、一家は兵庫県西灘村に引っ越し、昭和4年、神戸市に移った。11年、長崎高等商業学校に入学。15年、九州帝大法文学部経済科に進学したが、翌年、同学部の文科に入学し直し、東洋史を専攻した。指導教授は重松俊章――彼の次男の重松泰雄(平成11年6月19日没)もまた、元・九州大学教授で、漱石・外を中心に日本近代文学を研究し、「夢の調教師・その出発―島尾文学の尻尾をつかまえるために」(「敍説」第3号、平3・1)がある――。18年9月、私刊の短篇集『幼年記』(福岡・こをろ発行所、昭18・9)を上梓。同月、繰り上げ卒業し、海軍予備学生を志願。翌月、入営し、旅順・横浜・大村で訓練を受けたのち特攻艇要員として奄美群島加計呂麻島に赴任。第十八振震洋隊の指揮官をつとめ、同地にて敗戦を迎えた。20年9月末、神戸の実家に復員し、翌年3月10日、加計呂麻島で知った大平ミホと結婚。5月、庄野潤三や林富士馬らと同人誌「光耀」を創刊した。22年、神戸山手女子専門学校(のち神戸市外国語大学)で教鞭をとり、『単独旅行者』(真善美社、昭23・10)『格子の眼』(全国書房、昭24・3)『贋学生』(河出書房、昭25・12)を上梓。27年3月、妻子を伴って上京したが、30年10月、妻ミホの病気治療のため奄美大島名瀬市に移住。50年4月、鹿児島県指宿市に転居。52年9月、神奈川県茅ヶ崎市東海岸に転居。58年10月、鹿児島県姶良郡加治木町、59年12月、鹿児島市吉町と移り住み、数多くの作品を書き継いだ。短篇「出孤島記」(「文芸」昭24・11)で第1回戦後文学賞。『死の棘』(講談社、昭35・10)で第11回芸術選奨。『硝子障子のシルエット』(創樹社、昭47・2)で第26回毎日出版文化賞。『日の移ろい』(中央公論社、昭51・11)で第13回谷崎潤一郎賞。「湾内の入江で」(「新潮」昭57・3)で第10回川端康成文学賞。『魚雷艇学生』(新潮社、昭61・8)で第38回野間文芸賞を受賞した。昭和61年、鹿児島市の自宅にて昏倒し、11月12日逝去。生前の『島尾敏雄全集』全17巻(晶文社)がある。 ⇒ 書誌の試み 島尾敏雄の部屋
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| 関連情報 |
| レコードID |
441897
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| 権利情報 |
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| 登録日 | 2013.08.16 |
| 更新日 | 2020.10.26 |