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<その他>
神近市子
ヨミ
カミチカ イチコ
編者
花田, 俊典
スカラベの会
データベース名
スカラベ人名事典
人物詳細
1888(明治21)年6月6日、長崎県北松浦郡の生まれ。評論家。政治家。漢方医である父神近養斎と母ハナの第五子として生まれる。本名イチ、筆名榊纓(さかき・えい、或いはおう)。父、兄の相次ぐ死によって一家没落の後、親戚の経済援助を受け、1904(明治37)年、活水女学校初等科に編入学。同校中退後、津田英学塾入学。1912(明治45)年在学中、青鞜社に加盟。学校側の条件で卒業と引き換えに社を脱退し、弘前高女に勤めるも、青鞜社員であったことが発覚、免職となる。1914(大正3)年、尾花紅吉と共に「番紅花」(さふらん)創刊。同年、東京日日新聞社入社。二年間社会部記者として活躍する一方、アナーキズムに接近した小説、評論を発表。1915(大正5)年、大杉栄傷害に至るいわゆる葉山日蔭茶屋事件を起こし、懲役二年の実刑に服す。出獄後、1921(大正9)年、鈴木厚と結婚。三子をもうけ、翻訳、文筆業に従事。1928(昭和3)年、「女人芸術」に参加(同雑誌は四年後に廃刊)。 1935(昭和10)年、「婦人文芸」創刊にたずさわる。翌年離婚。翻訳で生計を立て、子らの養育にあたる。戦後は女性解放運動に努め、自由人権協会理事などを歴任し、社会的実践活動に着手した。1953(昭和28)年、社会党左派からの推薦を受け、衆議院議員に立候補、当選する。1969(昭和44)年の引退まで五回の立候補、うち四回当選。議員として売春防止法の制定に尽力した。1981(昭和56)年8月1日没。〈著書〉『女性思想史』(三元社、1949.7)『灯を持てる女人』(室町書房、1954.10)『私の半生記』(近代生活社、1956.12)『神近市子自伝 わが愛わが闘い』(講談社、1972.3)『一路平安』『わが青春の告白』などほか、翻訳も多数。
関連情報
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/collections/q_fukukin_bio
詳細
レコードID
441730
権利情報
スカラベ人名事典の人物詳細の著作権は、それぞれの執筆者に属します
登録日
2013.08.16
更新日
2020.10.26