ヨミ |
カザキ クモタロウ
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編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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データベース名 | |
人物詳細 |
1913(大正2)年10月25日、長崎市の生まれ。詩人。本名は貞島米親。鎮西学院中学部をへて、昭和10年、青山学院専門部(現・青山学院大学)を卒業。神戸市の松竹座洋画宣伝部に就職したが、1年余りで辞め、兵庫県明石郡の小学校の代用教員になった。同12年、応召して中国各地を転戦し、14年、南支軍報道部(広州)に転属となり火野葦平らと知る(*火野葦平軍曹の招聘による)。同十五年、復員し召集解除。長崎市内の私立鎮西学院で英語教師となった。「第二期九州文学」に同人参加。20年、宮崎耿平(康平)の生家の家業の土木会社(宮崎組南旺土木研究所)に転職し、敗戦の報は仕事先の福岡県杷木町の山中で知った。昭和20年8月下旬、帰郷し、原爆の惨状を目撃。翌年、「九州文学」同人たちが設立した九州書房(福岡市)に勤務し、詩誌「九州詩人」などを編集したが、同22年、長崎県立諫早高校に就職。以後、郷里で高校教師をつとめるかたわら詩作をつづけた。24年、上村肇らと詩誌「岬」を創刊。「浦上天主堂附近」は、のち第2詩集『長崎詩篇』(東峰書房、昭30・12)に収録された。この詩集は、詩人の安藤一郎が序文を、また火野葦平・土橋治重・清水崑が跋文を寄せている。「うろうろと生きてきた私のふる里の地図は、既に色あせて古び汚れが目だつ。而し、現代の最も深い傷をうけたふる里長崎を歌ふことが、人間の現代の悲劇を歌ふことだといふ私の信念に変りはない。それは傷の痛みと苦しみに満ちてゐる」(詩集「あとがき」)。32年、文化功労者として長崎県民表彰。36年、長崎県立東高校(定時制)に転勤。50年、退職。平成8年度日本先達詩人顕彰(日本現代詩人会)。文芸同人誌「岬」主宰。元・長崎県詩人会会長。平成8年、連載自伝エッセイ「私の文人交友録」(「読売新聞」西部版)がある。長崎市本河内町在住。〈著書〉第1詩集『紫の笛』(諫早・風雲洞、昭26・3)詩集『長崎詩篇』(東峰書房、昭30・12)『ビードロの歌』(東京・風社、昭41・1)『たこつぼの花』(八潮・風社昭50・7)『長崎暮色』(長崎・岬の会、平5・10)随想集『わが星の道』(諫早・昭和堂印刷、昭60・10)詩集『長崎暮色』(平5)
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関連情報 |
レコードID |
441712
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権利情報 |
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登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |