ヨミ |
オカイ タカシ
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編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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データベース名 | |
人物詳細 |
1928(昭和3)年1月5日、名古屋市の生まれ。歌人・評論家。父・弘は「アララギ」歌人、齋藤茂吉の弟子。昭和20年、旧制八高入学。終戦後、疎開先の三重県高角の農家で家族と暮らし、ここではじめて短歌を作った。25年、慶応大学医学部に入学。26年、「未来」が創刊され、中心的存在として編集に携わる。30年、大学卒業と前後して塚本邦雄との交遊がはじまり、作風は一変する。45年、実生活と一切の短歌活動を放擲し読者の視界から消えた。この45年は、九州各地を転々とし、辿り着いた先は、福岡県遠賀郡岡垣町であった。福岡県立遠賀病院の内科医長として 49年4月まで勤めた。5月、九州を去り、郷里の愛知県豊橋市に移住、国立豊橋病院に勤務。平成元年~10年、京都精華大学教授、日本詩歌論を講じた。平成2年から再び東京に移り住み、武蔵野市在住。歌誌「未来」発行・編集人。【恒成美代子】 ⇒著書一覧 優しさははづかしさかな捲きあがる水の裾から言葉を起こし 玄海の春の潮(うしほ)のはぐくみしいろくづを売る声はさすらふ 生きがたき此の生(よ)のはてに桃植(う)ゑて死も明(あ)かうせむそのはなざかり 原子炉の火ともしごろを魔女ひとり膝に抑へてたのしむわれは 口中に満ちし乳房もおぼろなる記憶となりて 過ぐれ諫早(いさはや) しらぬひ筑紫の国の私生活死のかげの射すま昼と思ふ 歌はただ此の世の外の五位の声端的(たんてき)にいま結語を言へば (以上『鵞卵亭』より)
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関連情報 |
レコードID |
441657
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権利情報 |
スカラベ人名事典の人物詳細の著作権は、それぞれの執筆者に属します
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登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |