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<その他>
井上光晴
ヨミ
イノウエ ミツハル
編者
花田, 俊典
スカラベの会
データベース名
スカラベ人名事典
人物詳細
1926(大正15)年5月15日、中国旅順(ただし本人の自己紹介による。じっさいは、福岡県久留米市らしい)の生まれ。小説家。7歳のとき佐世保に移り、昭和13年、崎戸炭鉱(長崎県西彼杵郡崎戸町)に住んだ。崎戸尋常高等小学校を高等科1年で中退し、大阪に出て製鋼所の見習い工となったが、昭和16年、15歳のとき崎戸に帰り、坑内炭札係となった。その後、中学卒業検定試験に合格し、上京して電波技術養成所に入り、卒業後は多摩陸軍技術研究所に配属されたが、空襲で罹災したため佐世保に帰り、同地で炭鉱技術者養成所の教師をつとめ、敗戦を迎えた。戦後は左傾し、昭和21年1月、日本共産党に入党。また、九州評論社(佐世保)の創立にかかわるなどし、ガリ版詩集『むぎ』(ねじくぎ社、昭22・10)を上梓。昭和23年、九州評論社を辞し、日本共産党九州地方委員会常任となり、ここで同じく常任の谷川雁や大西巨人らを知った。昭和25年、「書かれざる一章」発表後に日共所感派から除名処分を受けたが拒否。同28年、日共を離党した。以後、多くの作品を書き継ぎ、また晩年は各地に文学伝習所を設けて後進の創作の指導にあたるなどした。平成4年5月30日、癌のため死去。2年後、映画監督の原一男(昭和20年6月8日、山口市生まれ)が最晩年の井上光晴を追ったドキュメンタリー映画「全身小説家」(疾走プロダクション)を発表。製作ノート・採録シナリオ集『全身小説家―もうひとつの井上光晴像』(キネマ旬報社、平 6・10)も刊行された。〔参考〕平野謙「職業革命家の問題」(「群像」昭25.12)
関連情報
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/collections/q_fukukin_bio
詳細
レコードID
441563
権利情報
スカラベ人名事典の人物詳細の著作権は、それぞれの執筆者に属します
登録日
2013.08.16
更新日
2020.10.26