<紀要論文>
現代日本におけるセクシュアリティ研究のためのノート : その出発点の位置づけ
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概要 | 最近日本においてもセクシュアリティが社会学の研究対象として確立されてきた。そしてそれはミシェ ル・フーコーによる「セクシュアリテの装置」の議論に多くをおってきた。フーコーの「セクシュアリテの装置」とは,「性」を自己の真理として告白させることによって個人を主体化=服従化し,それを社会の合理性的言説に節合化することによって,個人の身体を管理・調整し資本主義的生産システムの中に組み込んで行く権力の装置で...ある。この概念を手掛かりとして,日本におけるセクシュアリティを巡る研究が進行しているのである。そしてそれは一方で「性・セクシュアリティ観念の歴史化」にアクセントをおくジェンダー・スタディーズ(特に構築主義的フェミニスト,ゲイ・レズビアン)によって担われ,かれらのポリティクスの一部となっている。しかしまた他方でボードリヤールの議論を取り入れ,「セクシュアリテの装置」の歴史的限定性を指摘し,現代消費社会において「性」をめぐる新たなる権カテクノロジーを解明しようとする議論もある。現代日本におけるセクシュアリティ研究の出発点はこの両者が交差する地 点に存在すると思われる。続きを見る |
目次 | はじめに I フーコーによる「セクシュアリテの装置」 Ⅱ 最近の日本におけるセクシュアリティ研究の動向 おわりにーセクシュアリティ研究の出発点ー |
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登録日 | 2021.10.14 |
更新日 | 2021.12.13 |