<学術雑誌論文>
日本人研究者による遼東半島先史調査と現在-東亜考古学会調査と日本学術振興会調査

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概要 遼東半島は,遼西から朝鮮半島への道のりの中間に位置するとともに,山東から遼東 半島を経て朝鮮半島という道のりが存在するように,東北アジアの文明の十字路ということができる.ここでの考古学的な調査は1895 年の鳥居龍蔵の調査に始まった.その後,東亜考古学会による1927 年の貔子窩の調査によって本格的発掘調査が始まり,1942 年の日本学術振興会による文家屯貝塚の調査まで日本人研究者による発掘調査が...続いた.こうした資料は大半が今日も日本の大学で所蔵されており,植民地的考古学として位置づけることができるであろう.日本人の大陸侵略による植民地考古学資料としての戦前の発掘調査を振り返るとともに,その学史的動向を探る.そして,今日の学問的水準によって発掘調査品という一次資料を再検討や再調査する意義とその成果をまとめる.特に遼東半島の先史土器編年の確立こそが,朝鮮半島や日本列島を含めた東北アジア全体の歴史的な叙述を行うにあたって重要であることを述べたい.さらに,こうした植民地考古学的資料を扱うことによって,今日の中国考古学における日本人研究者の役割を語ってみたい.
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辽东半岛位于辽西和朝鲜半岛中间,又有从山东经辽东半岛至朝鲜半岛的路线,可以称作是东北亚文明的十字路口。日本研究者有关辽东半岛的考古学调查肇始于1895 年的鸟居龙藏。真正意义上的发掘调查始自东亚考古学会1927 年貔子窝的调查,持续至日本学术振兴会1942 年文家屯贝丘的调查。如今,这些资料中的大部分依旧被日本的大学收藏,可以将其定位成殖民地考古学。作为日本人侵略大陆的殖民地考古学的材料,回首这些战前发掘的调查,以探求其学术史的动向。依照当今的学术水准,重新审视和调查这些第一手的材料(发掘调查品),并总结其意义和成果。尤其,伴随着辽东半岛先史陶器编年的确立,涵盖朝鲜半岛及其日本列岛的整个东北亚的历史性的叙述可以说是非常重要的。再有,根据处理这些殖民地考古学的材料,想要陈述当今日本研究者在中国考古学研究中的作用。
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登録日 2018.05.14
更新日 2020.02.14

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