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[柳川藩三池郡平野村村絵図]

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概要 享保年間、柳川藩家老小野氏は、恩賞として三池平野山を拝領し、採炭を開始した。平野山間部を中央にして、西方に三池炭田石炭発見地である稲荷山間部が、東方に向坂間部(生山間部)が描かれている。嘉永4年(1851)に下手渡藩主立花種恭が旧領三池に五千石与えられると、藩士向坂老之助(九州大学教授向坂逸郎の祖)が炭鉱管理者として生山坑を開き、生山は向坂山と俗称された。小野氏は平野山下の溜池(平野堤、小野どん池...)のほとりに餐霞軒なる別邸を建て、石炭採掘の事務所とした。平野山坑と生山坑は、間部が接して坑内紛争となり、湧水処理問題等でも紛擾が絶えなかった。本図には、下手渡藩三池領(「五千石」と表記される)との境が朱線で示されていることから、そうした状況を踏まえて作成されたものと思われる。続きを見る

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登録日 2025.07.15
更新日 2025.07.15

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