| ヨミ |
サキ リュウゾウ
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| 編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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| データベース名 | |
| 人物詳細 |
1937(昭和12)年4月14日(戸籍上は15日)、朝鮮咸鏡北道吉州面朝鮮(北朝鮮)の生まれ。小説家。本名・小先良三。兄2人姉1人の末っ子。父は広島県、母は福岡県の出身。父が応召し、呉の海軍にいたため、昭和16年末、母子そろって帰国。父の郷里の広島県高田郡小田村に身を寄せ、昭和19年、村立小田東小学校に入学。父はフィリピンのミンダナオ島で戦死。昭和25年6月、母の親戚をたよって八幡市(現・北九州市)に引っ越し、市立花尾中学に転校。28年、県立八幡中央高校に進学し、卒業後は八幡製鉄所の事務職に就職した。まもなく実兄らと同人誌「日曜作家」を創刊し、また「製鉄文化」「九州作家」「九州文学」にも小説を発表。昭和34年、「新日本文学」に「ある動機」を発表し、また労働組合運動に深くかかわり、60年安保闘争の直前に日本共産党に入党。「大罷業」(「新日本文学」昭37.5)で第2回新日本文学賞佳作。昭和38年、「ジャンケンポン協定」(「新日本文学」昭38.5)で第3回新日本文学賞(短篇部門)を受賞。この年、理由不明のまま党員権停止処分となり、翌年に党から除名処分を受け、これを機に会社も辞職したという。昭和42年10月、上京。翌年、「奇蹟の市」で芥川賞候補。「大将とわたし」で直木賞候補。70年安保闘争の頃は沖縄に移住し、復帰問題と深く関わった。昭和51年1月、裁判調書や証言を生かす斬新な手法を用いた書き下ろし長篇『復讐するは我にあり』(講談社、昭50・11)で第74回直木賞を受賞した。なお、講談社文庫『ジャンケンポン協定』(昭51・6)『復讐するは我にあり』(昭53・12)『大将とわたし』(昭57・1)、および講談社文芸文庫『供述調書』(平13・4)には自筆年譜が付載されている。自伝『もう一つの青春―日曜作家のころ』(岩波書店、1999.5)がある。 ⇒〈自筆年譜〉
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| 関連情報 |
| レコードID |
441851
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| 権利情報 |
スカラベ人名事典の人物詳細の著作権は、それぞれの執筆者に属します
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| 登録日 | 2013.08.16 |
| 更新日 | 2020.10.26 |