<その他>
天野淡翠
ヨミ | |
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人物詳細 | |
関連情報 |
詳細
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権利情報 | |
登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |
ヨミ |
アマノ タンスイ
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編者 |
花田, 俊典
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スカラベの会
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データベース名 | |
人物詳細 |
新聞記者。本名は寿太郎。「天野淡翠(寿太郎)は、明治四十年七月三十一日、与謝野鉄幹、吉井勇、木下杢太郎、平野万里、北原白秋ら、いわゆる「五足の靴」が九州入りの第一歩を博多に印した時にそのタベ、西公園の「吉原亭」で、「明星」の読者による福岡県文学同好会主催の歓迎会が催されたが、その世話をした人と考えられる。天野淡翠は、明治三十七年十一月一日に福日に入社した人だが、熊本高工に学び、早大文科を卒業している。偶然のことながら、大正五年八月一日発行の「郷土芸術」八月号が手に入った。発行人は、山田篤、発行所は、筑紫郡堅粕六八九郷土芸術社となっている。その「郷土芸術」に、「天野淡翠を悼む」という特輯があり、田中紫江、堀十二絃、玉井精、小野健治、山田篤、木三の六人が淡翠の才能を惜しんだ文章をよせている。/淡翠は、性情淡、酒を嗜み、文をよくし、詩を楽しんだ。社命で東海道五十三次旅行をし、大正四年七月十日―九十二回、その旅行記を連載した。かつて、田山花袋と英詩を共訳出版したこともあり、四十四年ごろは地方欄主任。大正五年六月二十四日、チフスで病死した。享年三十六歳であった。」(原田種夫『黎明期の人びと―西日本文壇前史』西日本新聞社、昭49・12)
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関連情報 |
レコードID |
441475
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権利情報 |
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登録日 | 2013.08.16 |
更新日 | 2020.10.26 |