<図書>
映画の声 : 戦後日本映画と私たち
エイガ ノ コエ : センゴ ニホン エイガ ト ワタクシタチ
| 責任表示 | 御園生涼子 [著] |
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| データ種別 | 図書 |
| 出版情報 | 東京 : みすず書房 , 2016.10 |
| 本文言語 | 日本語 |
| 大きさ | 305p : 挿図 ; 20cm |
| 概要 | 「もし死刑という制度に例外事態が起こってしまったとするならば、すなわち、死刑の執行が失敗し、その後も被告人が生き延びてしまったとしたら、一体何が起きるのか?こうした一見、抽象的な思考実験とも思える問いを通して、大島は「国家」という制度の核心へと近づいてゆく」。『日本の夜と霧』『絞死刑』『儀式』『二十四の瞳』『ひめゆりの塔』『浮雲』『森と湖のまつり』『仁義なき戦い』『セーラー服と機関銃』—大島渚や木...恵介からメロドラマ、実録やくざ映画、角川映画まで、日本映画は戦後民主主義と大衆消費社会の結節点にありながら、国家と共同体の外へ追われた“他者の生”を描いてきた。国民の物語と娯楽性の狭間にあって映画は、安保を、在日を、天皇を、戦争を、沖縄を、アイヌを、ふるさとを、恋愛を、少女を、いかに表象してきたのか。映像に固有の論理と緻密な分析によって、仮借なき暴力に彩られたそのさまざまな“声”を聴き取る、硬派で繊細な映画批評の誕生。続きを見る |
| 目次 | 第1部 大島渚とその時代(時代を証言する—『日本の夜と霧』 法の宙吊り—『絞死刑』における国家と発話主体 呼びかける死者たちの声—『儀式』における国家と戦後民主主義のイメージ オオシマナギサを追悼する—つねにいつもそこにいる運命的な「他者」に向って) 第2部 メロドラマの政治学(幼年期の呼び声—木下恵介『二十四の瞳』における音楽・母性・ナショナリズム 従軍する女性たち—『ひめゆりの塔』にみる戦争とジェンダー/植民地表象の政治学 コロニアル・メロドラマ試論—成瀬巳喜男『浮雲』にみる「植民地主義メロドラマ」の可能性 メロドラマ的回帰—『秋津温泉』にみるメロドラマ形式の可能性) 第3部 ジャンル映画のディスクール(馬鹿は死ななきゃ治らない—『次郎長三国志』における富士山の表象とその遊戯性 “ビヤッキー”と呼ばれた男—内田吐夢『森と湖のまつり』における高倉健のイメージ 召喚される暴力/記憶—『仁義なき戦い』における菅原文太と分有されるイメージ 少女・謎・マシンガン—“角川映画”の再評価)続きを見る |
所蔵情報
| 状態 | 巻次 | 所蔵場所 | 請求記号 | 刷年 | 文庫名称 | 資料番号 | コメント | 予約・取寄 | 複写申込 | 自動書庫 |
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中央図 2B | 778.21/Mi 53 | 2016 |
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