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<図書>
墓標なき草原 : 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録
ボヒョウ ナキ ソウゲン : ウチモンゴル ニ オケル ブンカ ダイカクメイ ギャクサツ ノ キロク

責任表示 楊海英著
データ種別 図書
出版情報 東京 : 岩波書店 , 2009.12
本文言語 日本語
大きさ 2冊 : 挿図, 地図 ; 20cm
概要 他に先がけて文革の火蓋が切られた内モンゴルでは、かつて日本時代に教育を受けた者たちが、「内モンゴル人民革命党」一派として粛清された。さらに階級闘争論によって、漢族による草原の開墾とモンゴル族の迫害が正当化され、家畜と遊牧地は奪われ、モンゴル人への殺害がエスカレートしていった。戦慄の悲劇を招いた内モンゴルの文革。その要因と拡大化の実態を、体験者の証言を軸に克明にたどる。対日協力者はなぜ民族分裂主義者...仕立てられたのか。
対日協力者が粛清されるや、革命聖地の延安出身のモンゴル人共産主義者までもが、「民族分裂主義者」として弾圧の標的となり、災厄はさらにその家族や係累へと及んだ。内モンゴルに大量の漢族移民が送り込まれ、粛清はより組織的かつ残忍なものとなり、草原は荒れた沙漠と化していく。やがて内モンゴルの文革は、一人のモンゴル人が「内通者」の罪人に仕立てられ結末を迎える。巨悪は闇に葬られ、恐怖の現実は忘却され、語ることすら許されない歴史。
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目次 はじめに—内モンゴルの文化大革命に至る道
「社会主義中国は、貧しい人々の味方」—中国共産党を信じた牧畜民バイワル
第1部 「日本刀をぶら下げた連中」(日本から学んだモンゴル人の共産主義思想—一高生トブシン、毛澤東の百花斉放に散る
「亡国の輩になりたくなかった」—満洲建国大学のトグスの夢
「モンゴル族は中国の奴隷にすぎない」—「内モンゴルのシンドラー」、ジュテークチ)
第2部 ジュニアたちの造反(「動物園」の烽火—師範学院のモンゴル人造反派ハラフー
陰謀の集大成としての文化大革命—師範大学名誉教授リンセの経験
漢人農民が完成させた「光栄な殺戮」—草原の造反派フレルバートル)
第3部 根元から紅い延安派(モンゴル人を殺して、モンゴル族の人心を得る—延安派に嫁いだオルドス・モンゴル人女性奇琳花
「モンゴル人虐殺は正しかった」—所詮は「地方民族主義者」にすぎぬ「延安派」オーノス
「モンゴル人がいくら死んでも、埋める場所はある」—大沙漠に散った延安派幹部アムルリングイ)
第4部 トゥク悲史—小さな人民公社での大量虐殺(「文明人」が作った巨大な処刑場—トゥク人民公社の元書記ハスビリクトの経験
「中国ではモンゴル人の命ほど軽いものはない」—家族全員を失ったチムスレン
「モンゴル人が死ねば、食糧の節約になる」—革命委員会主任エルデニの回想)
スケープゴートもモンゴル人でなければならない—息子が語る「抗日作家」の父ウラーンバガナ
視座 ジェノサイドとしての中国文化大革命
おわりに—オリンピック・イヤーの「中国文化大革命」
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所蔵情報


中央図 4A 222.6/Y 72 2009
032112010021877

中央図 4A 222.6/Y 72 2009
032112010028947

書誌詳細

別書名 標題紙タイトル:Genocide on the Mongolian steppe : oral histories of the Chinese Cultural Revolution
異なりアクセスタイトル:墓標なき草原 : 内モンゴルにおける文化大革命虐殺の記録
一般注記 参考文献: 下巻末p8-20
内モンゴル自治区文化大革命年表: 下巻末p21-28
著者標目 楊, 海英(1964-) <yang, hai ying>
件 名 BSH:内モンゴル自治区 -- 歴史  全ての件名で検索
BSH:中国文化大革命(1966〜1976)
BSH:ジェノサイド
分 類 NDC9:222.6
書誌ID 1001432868
ISBN 9784000247719
NCID BB00599941
巻冊次 上 ; ISBN:9784000247719 ; PRICE:3000円+税
下 ; ISBN:9784000247726 ; PRICE:3000円+税
登録日 2010.11.01
更新日 2010.11.01

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