1970年代の二つの議論では, A, Bどちらも, 問題の原因を卸売市場において競争が阻害されていることに求めていた. そして, 競争という市場原理を高く評価しており, 卸売市場における競争の回復が問題解決と考えていた. Aのマルクス経済学の立場からの議論では, 卸売市場の競争の回復に対して, 産直が直接果たし売る役割を評価していない. 社会変革のための農民と労働者の連帯を作り出すものとして産直を評価している. また, 競争という市場原理を評価する一方, 市場原理に一定の限界を認めている. しかし, 何が市場の限界なのかは示されていない. これに対し, Bの産業組織論からの議論では, 農産物流通に競争を回復させる上での産直の直接的な役割が評価された. そして市場の限界は全く意識されていない. この当時議論されていたような卸売市場における競争の回復が, 現実に達成されたかについては判断が難しいが, 卸売市場流通の変化の過程で, 産地間の競争が激化し, 農業離脱者の増加という, 新たな問題が生まれ, また農産物の安全性に対する不安や旬の喪失という問題は現在でも依然として解消されていない. 1980年代に入ると卸売市場に競争という市場原理が正常に働いているかどうかはほとんど問題にされなくなっている. Cの議論では, 卸売市場を中軸とした遠隔地流通体系と主産地形成とともに, 農産物の商品化を問題にしている. この点で, この議論は市場そのものに対する批判を内包している. そして生産者と消費者の関係をとりもどすことによって, 商品生産としての農業を, 広義の意味での, 自給のための食糧生産としての農業へと変革するものとして積極的に産直を評価している. また産地間競争に取り残された農家の受け皿としての役割も評価している. ひいては, 産直が地域農業を再編する可能性にも言及しているが, その条件について簡単に触れているだけである. 産直による地域農業の再編について述べるとき, 卸売市場流通, 遠隔地流通体系, 主産地形成が地域農業を破壊したのかを詳しく検討し直す必要があるだろう. Dの有機農業運動における産直論は, はっきりと市場そのものを批判している. 市場そのものの欠陥を指摘し, 産直は市場を中心とした経済システムにかわりうる新たな経済システムのモデルと位置づけられているが, 変革の具体的な過程は示されていない. 1970年代に問題の中心であった, 卸売市場における競争の喪失が, 1980年代にはほとんど議論されなくなっているのは, 産直が単に卸売市場流通を批判していただけではなくて, 卸売市場流通を含む広義の市場流通に対して批判を向けていると理解すべきである. これまでの産直の議論では, 市場では農産物の質が低下することか背場批判の内容であった. そして産直は安全な農産物に対する需要を顕在化させ, 有機農産物市場が成立するにいたっている. これは市場が批判を受け入れ, 市場の中で生産物の質を回復する試みであるとも言える. A, C, Dの市場批判を含む議論では, 単に農産物流通の変革だけではなく, 社会, 経済のしくみの変革を志向している. しかし, その変革の過程は明らかにされていない. 現在, 産直のこれからの可能性を語るには, より根源的な市場批判がなされなければならないだろう. まず, 農産物の質の低下と共に, 量的な安定性も問題になり, 食の不安定化とも言うべき現象が進行していることである. これは地球的な環境の悪化と人口増加を背景にして, 市場の需給調節によって, 質的にもだが, そもそも量的に食糧の安定供給ができるのだろうかという問題である. 市場では需要と供給は変動を繰り返しながらその会合点をみつけていく. その変動の範囲が, 人間の正常な生存の基礎的な条件を満たす範囲内で収まるものなのか, 市場原理ではその変動の範囲をどのぐらいのものと前提しているのか, 明らかではない. また, 産直の現場では農業労働の質の回復ということが言われている. 梅木は市場に向けて出荷する場合, 「農民の自己の生産物に対する責任感は漸次希薄なものとなる」と指摘しているが, これは農民の労働の質が低下していることを示す一面である. 市場においては生産物だけではなく, 労働の質も低下するのではないかという疑問が残されている. これらの市場批判を明らかにしつつ, 産直の本質的原理を提示しなければならないと考える. その中で手がかりとなるのは, 産直の中で生産者と消費者との関係の回復が非常に強く志向されていることである. なぜ関係の回復が重視されるのか, またどのような関係を作ろうとしているかの分析が必要である. 同時に卸売市場を中軸とした遠隔地流通体系と主産地形成がどのような思想のもとで推進され, それが農業に対してどのような影響を与えてきたのかが明らかにされれば, 産直の今日的意義と具体的な可能性が提示されるであろう.
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