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<その他>
福岡都市圏近代文学文化年表 ; 大正6年
編者
花田, 俊典
スカラベの会
データベース名
福岡都市圏近代文学文化史年表
年表
文学作品:1月 白蓮女史「眠に入るまで」(「福岡日日新聞」1日―2日)2月 黒田白雨「戦後の世界文壇」(「福岡日日新聞」19日)5月 福本日南『堀部安兵衛』(中央義士会*発売は四方社)■この年、杉山其日庵『屑籠』(台華社)
文学的事跡:3月 杉山茂丸主宰の台華社(東京築地)が月刊誌「黒白」創刊。持田勝穂が奈良屋尋常小学校を卒業し、翌月福岡高等小学校に進学。稲富栄次郎【★218】が福岡師範学校第一部卒業。4月 檀一雄の父親が福岡工業学校に赴任し、一家で市内鳥飼に転居。島尾敏雄、横浜市で出生(18日)。6月 吉井勇が来福し、松島屋旅館に宿泊(8日)。10●9月 高浜虚子・島村はじめが吉岡禅寺洞・清原拐童の招きで来福し、博多毎日新聞社主催の句会を福岡県第二公会堂で開催、のち都府楼趾・観世音寺を訪問、「天の川の下に天智天皇と臣虚子と」【★219】(虚子)。10月 歌人の川田順が九州帝大附属病院に入院【★220】。11月 北田倫(旧姓楠田)、和歌山県有田で出生(11日)。
社会文化事項:1月 福岡市上水道工事着工。2月 「電気館」改装落成し開館(15日*山下庸太郎経営)。私立鐘紡女学校(住吉町)設置。「イルマ事件」【★221】発生(25日)。3月 「福岡市記念館」命名。4月 県立福岡中学校【★222】(現・福岡高校)が開校(1日)。第13回衆議院選挙(20日*松永安左衛門は当選、中野正剛は次点)。5月 福岡市通俗博物館・記念館【★223】開館式(25日*大正5年8月7日上棟式10月20日竣工)。6月 博多湾築港㈱の箱崎海面埋立事業起工式(1日*事業難航し昭和10年7月杉山茂丸の死後福岡市に事業譲渡)。8月 アメリカの曲芸飛行家アート・スミス、城外練兵場で曲芸飛行ショー(福日・九日・博毎の共同主催)開催(9日)。8月 那珂川の川開き行事開始(3日―5日*5日は雨天中止)。博多承天寺に川上音二郎碑(久保天随撰)建立。9月 弁士大会を電気館で開催、石田呑舟ら8人が出演(5日)。東中洲の「明治座」解体し、宇美町に身売り(*宇美町は「子安座」として再利用)。10月 川上貞奴引退劇「アイーダ」、九州劇場で公演(11日)。活動写真館「鶴城館」(大正3年創業)を買収し「第一電気館」(東中洲)・「第二電気館」(西公園)と改称(15日)。杉山茂丸・吉田磯吉(若松)ら有志が「本土九州連絡鉄道免許申請書」を国に提出(*翌年8月却下)。11月 川上貞奴が九州劇場で引退興行、「アイーダ」公演(11日)。福岡英和女学校を福岡女学校と改称(13日)。12月 中洲新道開通(14日)。この年、「生田菓子店」(生田卯平経営)が東中州電車通りに開店。
日本・世界事項:2月 「主婦之友」創刊(14日)。5月 東洋陶器株式会社(小倉市外篠崎)創立(15日*「TOTO」の前身)。この年、尾上松之助(=目玉の松ちゃん)主演の忍術・妖怪変化トリック映画大人気。この頃、物価急上昇、物価指数は大正3年を100とすると、4年―103、5年―144、6年―179、7年―230。
注記
【★218】稲富栄次郎:●昭和11年11月、母校の創立60周年記念講演会に招かれて講演(「現代哲学の趨向」、福岡師範学校「創立六十年誌」)。
【★219】天の川の下に天智天皇と臣虚子と:「天の川の下に天智天皇と臣虚子と 虚子/秋の灯に照らしだす仏皆観世音 同/という句がある。この句の音数は、第一句が二十二音、第二句は二十音、鉄則の十七音をはみだすこと、第一句は五音、第二句は三音で、字余り破調までものりこえている。——破調は必ずしも音数によらぬが——、であるから俳句を十七音だと限底〔定〕するとすれば、この二句はあきらかに俳句ではないこととなろう。音節は/天の川の下に、天智天皇と、臣虚子と/とよむのが普通であつて、「天の川の、下に天智天皇と、臣虚子と」としたら、音楽よみで句のもつ大切なことを失うこととなる。が、一般にこうしたよみ方をしている人が多い。「天の川の、下に、天智天皇と、臣虚子と」と四句の音節によむことも出来るが、これはきれぎれになつて流れがわるい。/天の川の下に、天智天皇と臣虚子と/と、この二音節によむのが正しい。一千余年を隔てた二人の人物が、ひとしく文学者としてつながりに於て、天の川の下に懐古される情が、第二節を一呼吸によむことによつてなしとげられているのである。(略)大正六年はじめて九州入をした虚子に、私が学んだものは俳句(文語)の、音数の自由であることをつけ加えて置きたい。」(吉岡禅寺洞「俳句の名称に就て」、「天の川」昭30・4)
【★220】川田順が九州帝大附属病院に入院:●水枕水をすてたる窓の外夾竹桃に花はあらざりき/真昼間の長き廊下をきしみつつ病人の車押されてゆけり
【★221】イルマ事件:イルマはドイツ軍捕虜の男爵ザルデン海軍大尉の妻で、ドイツの海軍大臣カベレ大将の娘。イルマは大正4年来福し、週1回の夫との面会を楽しんでいた。事件発生後、内務大臣は早期逮捕を厳命。同年4月8日、菓子職人(24歳)を小倉で逮捕した。金銭目当ての犯行と判明し死刑判決。夫のザルデン海軍大尉は捕虜収容所で妻の後追い自殺した。「福岡日日新聞」は記事差止命令解除後の大正6年4月10日以後、この事件の一部始終を大きく詳報した。後年、この事件をモデルに火野葦平が短篇「イルマ殺し」(「文藝春秋」昭25・12、のち短篇集『追放者』所収)を執筆している。
【★222】県立福岡中学校:大正6年2月15日設置認可。同年4月開校したが、新校舎の建設が間に合わず、西新町の中学修猷館の講堂で入学式を挙行し旧寄宿舎を借りて授業を実施した。大正8年12月24日、筑紫郡堅粕町に新築中の校舎が一部完成し移転した。
【★223】福岡市通俗博物館・記念館:「福岡市通俗博物館及記念館—福岡市の中央福岡県庁の裏、字法印田にあり。御大典記念として建築せられ大正五年十月工成り博物館は翌年五月開館す記念館はルネーサンス式の建物にして講演其の他公衆の集会場に充てられ、博物館はゴシツク式の建物にして館内の陳列品は市政、産業、交通、歴史、地理、教育、家庭、郷土の諸部に区分し時々陳列品を更めて公衆に観覧せしむ。」(『福岡県名勝人物誌』福岡県、昭2・4訂正3版、初版は大5・11)
関連情報
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/collections/q_fukukin_chr
詳細
レコードID
410583
権利情報
福岡都市圏近代文学文化史年表の著作権は、それぞれの執筆者に属します
西暦
1917
和暦
大正6年
登録日
2013.08.21
更新日
2021.12.14