斎藤滴萃


明治18年3月2日、福岡市極楽寺町の生まれ。斎藤六之助、シゲの長男。29年、福岡市中島町の共文社印刷に就職。39年、伊形靑楓(九州日報記者・俳壇選者)の句会に先輩大野皎月に誘われて出席し、以後九州日報俳壇に投句。同年伊形靑楓は病気のため退社、後任に矢田挿雲が着任し同俳壇を担当、これにも投句を続けた。42年、矢田挿雲の寓居「碌々居」で来福中の青木月斗と会い、親炙。大正7年、福岡市鰯町で印刷業を開業。9年、青木月斗主宰の俳誌「同人」に投句開始。12年、横浜市桜木町に転居し、東京市高輪南町の鉄道青年会印刷所に勤務。13年3月、妻サワノ死去。15年、東京の同人句会に初出席。昭和4年、東京市牛込新小川町に昭和印刷所を開業。19年、同印刷所を閉鎖し帝国鉱山開発㈱の嘱託となる。21年4月、句誌「同人」が東京で復刊となり、新宿三越7階の事務所で編集を担当。23年9月、帰郷しね福岡市馬出御所の女婿伊藤敏男宅に同居。42年、俳人協会会員となり、45年、福岡俳人協会を結成し初代会長に就任。49年8月18日、老衰のため福岡市馬出6丁目の自宅にて死去。享年89歳。遺句集『短夜』(福岡同人句会、昭51・8)がある。