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渡辺修三
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Created Date | 2013.08.16 |
Modified Date | 2020.10.26 |
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ワタナベ シュウゾウ
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花田, 俊典
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スカラベの会
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Biography |
1903(明治36)年12月31日、宮崎県東臼杵郡東海村祝子(現・延岡市尾崎町)の生まれ。詩人。渡辺家は代々の庄屋。明治時代に入り、父民三郎は酒造業、のち山林業に転じた。民三郎は明治32年、26歳の時に徳富蘆花に会い、終生親交をかさねたという。兄・謙二郎は画家、弟・小五郎は彫刻家だった(謙二郎は42歳、小五郎は29歳で亡くなった。2人の作品は渡辺修三が自家版の『鶺鴒集(しょうりょうしゅう)』(昭42)に紹介している)。大正10年、旧制延岡中学をへて早稲田大学英文科に進学。在学中、佐藤惣之助らの詩誌「詩之家」に参加して潮田武雄や久保田彦保(椋鳩十)らと知り、また早稲田の同窓の火野葦平らと文芸同人誌「街」を創刊。さらにモダニズム系の詩誌「詩と詩論」「リアン」にも参加し、モダニズム詩人として注目された。昭和4年、家業の山林経営を継ぐため大学を中退して帰郷。第1詩集『ヱスタの町』(詩之家出版部、昭3・4)および『ペリカン嶋』(ボン書店、昭8・9)『農場』(久留米・糧発行所、昭12・7)の計3冊の詩集を上梓した。第3詩集の「糧発行所」は野田宇太郎や丸山豊らの同人誌「糧」の発行元。装幀は野田宇太郎が担当している。昭和20年5月、41歳のとき応召。佐世保海兵団に入隊し、設営部隊として宮崎県の赤江飛行場で敗戦を迎えた。除隊後、彼は「二十里の道を」歩いて帰郷した。「生前の渡辺の女性のように華奢な体格を知っている私には、おそらく堪え難い地獄であったと思われる」(本多寿『石の下のこおろぎ―詩人渡辺修三の世界』本多企画、平6・9)。戦後は地元の農村青年らと「黒岩文化懇話会」を結成。また、詩誌「花束」を創刊し、若き本多利通、みえのふみあき、田中詮三らが参加。個人誌「珊瑚樹」「大鴉」なども発行した。昭和36年、宮崎県文化賞を受賞。昭和53年9月9日、死去。享年74。〈著書〉詩集『ヱスタの街』(昭3)『ペリカン嶋』(ボン書店)『農場』(糧発行所、昭12)『谷間の人』(東峰書院、昭35 H氏賞候補)『塩と天幕』(九州文学社、昭40)歌集『鬼哭集』(一樹社、昭42)『亀裂のある風景』(国文社、昭43)『渡辺修三全集』
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Relation |
Record ID |
442384
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Rights |
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Created Date | 2013.08.16 |
Modified Date | 2020.10.26 |