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長塚節
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Created Date | 2013.08.16 |
Modified Date | 2020.10.26 |
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ナガツカ タカシ
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Editor |
花田, 俊典
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スカラベの会
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Database Title | |
Biography |
明治12年4月3日、茨城県の生まれ。歌人・小説家。豪商の長男。明治29年、茨城尋常中学(のち水戸一高)を脳神経衰弱のため中退。療養中「日本」紙上で正岡子規を知る。明治33年、上京して子規を訪問、門下生となる。明治35年、子規没。明治36年、伊藤左千夫らと「馬酔木」を創刊、「アカネ」を経て、明治41年「阿羅々木」創刊に加わり、同人となる。明治41年頃より小説を書きはじめ、作歌から遠ざかる。43年、朝日新聞に連載の「土」は、農民の生活を描いた長編小説。44年、喉頭結核発病によって、黒田てる子との婚約破棄。その動揺が作歌復活となる。歌風は、抑制された表現の中に「気品」と「冴え」、人生の悲哀を漂わせている。九大耳鼻科、久保猪之吉夫人より江の世話で、大正3年6月9日下関から翌10日、九大病院に入院。より江夫人は、節の文学上のの理解者であり、晩年の生活を精神的に支えた。8月14日退院し、宮崎へ旅行。9月22日、九大通院治療。翌4年1月4日、九大病院へ再入院し、2月8日没。享年35歳。生地の国生(こっしょう)の共同墓地へ埋葬。法号・顕節院秀嶽義文居士。節は、生涯定職をもたず、結婚することもなかった。なお、九州大学医学部構内に建つ歌碑は「白銀(しろがね)の鍼(はり)打つごとききりぎりす幾夜(いくよ)はへなば涼しかるらむ」。他にも歌碑は観世音寺にある。〈写生文・小説〉『新写生文』(東亜堂書房 明41・1)『土』(春陽堂 明45・5)『芋掘り』(春陽堂 大2・8)『炭焼の娘』(春陽堂 大4・5)『山鳥の渡(わたし)』(春陽堂 大11・2)『佐渡が島』(日本古書通信社 昭和41・9)〈歌集〉『長塚節歌集』(春陽堂 大6・6)『長塚節選集』(アルス 大15・7)『鍼の如く』(富士書房 昭4・2)『歌稿浮巣』(書物展望社 昭12・3)『長塚節遺稿』(小山書店 昭17・5)『長塚節全集』(宝文館 昭26・8)『長塚節全集』(春陽堂 大正15・6~昭和2・2 全6巻)『長塚節全集』(河出書房 昭和22・5~23・6 1・2・3・4・5・7・9巻で中断)『長塚節全集』(春陽堂 昭和51・11~53・11 七巻+別巻) 【恒成美代子】小夜深(さよふけ)にさきて散るとふ稗草(ひえくさ)のひそやかにして秋さりぬらむ/馬追虫(うまおひ)の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし/垂乳根(たらちね)の母が釣りたる青蚊帳(あをがや)をすがしといねつたるみたれども/白埴(しらはに)の瓶(かめ)こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり
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Relation |
Record ID |
442079
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Rights |
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Created Date | 2013.08.16 |
Modified Date | 2020.10.26 |