<Other>
仰木実
kana | |
---|---|
Editor | |
Database Title | |
Biography | |
Relation |
Details
Record ID | |
---|---|
Rights | |
Created Date | 2013.08.16 |
Modified Date | 2020.10.26 |
Please use this URL for citations.
kana |
オオギ ミノル
|
---|---|
Editor |
花田, 俊典
|
スカラベの会
|
|
Database Title | |
Biography |
1899(明治32)年11月8日、福岡県生まれ。歌人。少年期の投書時代(仰木朱鳥)を経て、大正10年内藤銀策の知遇を得、「抒情詩」に拠る。同誌廃刊のため、同系の「林鐘」「青杉」「短歌巡礼」を経て、昭和6年「歌と観照」創刊と同時に入社、岡山巌に師事する。その間少年期に「文積少年」、青年期に「街歌」、敗戦後「群炎」を編集発行する。北九州歌人協会顧問、日本歌人クラブ福岡県委員にも就く。八幡製鉄所に技術者として勤務。昭和14年10月、北朝鮮の清津製鉄所に転勤。20年8月13日のソ連軍参戦に遭遇する。21年6月10日、博多港に引き揚げ帰国。昭和52年3月7日、福岡県宗像郡宗像町石丸348の赤間病院で心不全のため死去。墓所は、北九州市八幡東区枝光八幡大学下墓地。北九州市小倉北区八坂神社に歌碑あり。〈著書〉歌集『流民のうた』(北九州・群炎短歌会、昭44・10 群炎叢書第11集)。【坂口 博&恒成美代子】 手に提げし重き荷物を捨ててゆくわれのみならず避難民どち 男装の娘らを気にしつつそれとなく目くばせしつつ検問所に入る 武装解きし玲子を加え九人のわが一家族ひたすら生きむ 女らの凌辱さるるを聞くに堪えず敗北日本のゆくえを歎く いけにえに小羊ならぬ女をとこの米兵らに吾が血たぎりく *「私たちは避難民として流離の淋しい旅を続けますが、二男二女の吾子たちと老齢の母と病弱な妻、それに姪を加えて八人の一群が、母国への帰還を一途に、異国を漂い歩きました。老母の手を引き、三歳の末っ子を背負い、リュックに鍋釜を結び、幾度か野宿をいたしました。家族の内、次女の玲子は、女学校卒業と同時に羅南師団に軍属として応召し女兵のもっとも重要な任務に従事しておりましたので、羅南師団被爆の報にもはや戦死したものとばかり思っていました……好運にも、日本人会日の出町民に救われ、五月十二日の夜、ひそかに同地九竜の浜に待機した闇船、漁船に便乗して海路待望の三十八度線を突破したのであります。これより帰還の途に着きますが、釜山より日本の引揚者輸送船泰正丸に乗り込み、博多港に運ばれ、昭和二十一年六月十日博多に上陸、無事家族揃って日本の地を踏むことが、出来たのであります。」(『流民のうた』あとがき)
|
Relation |
Record ID |
441636
|
---|---|
Rights |
スカラベ人名事典の人物詳細の著作権は、それぞれの執筆者に属します
|
Created Date | 2013.08.16 |
Modified Date | 2020.10.26 |