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我孫子毅
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Created Date | 2013.08.16 |
Modified Date | 2020.10.26 |
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アビコ ツヨシ
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花田, 俊典
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スカラベの会
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Biography |
1915(大正4)年11月17日、福岡県小倉市堺町(現・北九州市小倉北区)の旧蓮門教本部の家に生まれる。詩人・小説家。本名は島村泰喜。「九州文学」同人。実父は蓮門教分裂後の扶桑教神道統一教副教長の島村藤助だが、戸籍上は教祖・島村ミツの夫・音吉の養子とされるなど、複雑な家庭環境に育つ。昭和5年8月に北海道・小樽にいた生母のもとに渡り、翌年3月神戸の実姉宅に身を寄せ、8年3月の中学卒業後、「K学院」(関西学院か?)に進学する。この時期に左翼運動に関わり「種々の筆名を用ひて数篇の創作をプロレタリア的な雑誌に発表した」(『九州詩集3』「略歴」)とされるが、詳細は不明。その後、小倉市紺屋町の実父のもとで文学活動を続ける。吉野信夫主宰の「詩人時代」(未確認。「詩人」も?)や、「九州文化」「九州芸術」にも同人として参加、昭和12年4月、詩誌「倭寇船」を夢野文代・安田満・吉村草三・榊原耿哉とともに創刊する。第3冊(昭12・10)を出した後、第2期「九州文学」創刊に、夢野・安田・吉村や、「対馬詩人」の洲河千里などとともに合流する。13年9月、小倉歩兵第14聯隊に補充兵として召集される。満r洲へ送られるが、脊髄カリエスを患い小倉陸軍病院に入院、除隊となる。「九州文学」には、「晩夏」(昭15・2)を始め、主に蓮門教を背景にした私小説を、数多く書き続けた。「新田誌―犬甘兵庫伝」(昭19・12―20・1)で、第20回直木賞候補となる。敗戦後は家族で東京に住み、第4期「九州文学」に「青春片影」(昭29・5)、第5期「九州文学」に「うつせみの季節」(昭32・7)を本名で、長篇「神と人の座―金蓮教始末記」(昭 35・10―37・7、全11回連載)を島村欣吾の筆名で発表するなど、生活苦のなかで創作活動を続けた。昭和42年7月1日、横浜にて死去。その死は事故死とも自殺ともされる。墓所は、北九州市小倉北区寿山町・広寿山福聚寺。単独の詩集・小説集は1冊も刊行されていない。〈共著〉『九州詩集 第三輯』(九州芸術家聯盟、37・6*「海港の旗」収録)『九州詩集 第四輯』(九州芸術家聯盟、39・5*「彗星」収録)『九州小説選1』(九州書房、46・6*「巷塵抄」収録)。 【坂口 博】 十六歳の夏より家を離れて北海道、神戸等の学校に学ぶ。その間、種々の筆名を用ひて数篇の創作をプロレタリア的な雑誌に発表したり、薄命なる同人雑誌に関係したりしてゐたが、当時の進歩的青年の誰もがそうであつた如く、政治主義の俘虜となつて芸術を失ふ。其後、故郷に帰つて自己の道を求めて昏迷すること二歳、然し性来のマルデクソール(書く病気)は全治する可くもなく、猛然と芸術への再出発を決意した。そして現在の自分は詩に於ける「象徴的リアリズム」の手法を宣言して、無気力な詩壇へ捨身の突撃を行はふとしてゐる。「詩人時代」「九州文化」の同人を経て、現在「九州芸術家聯盟」に加盟。昭和十二年三月、「倭寇船」詩社を起す。現住所小倉市紺屋町二一一島村方」(1937年版『九州詩集3』付載自筆「略歴」)
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Relation |
Record ID |
441472
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Created Date | 2013.08.16 |
Modified Date | 2020.10.26 |